2025年9月、トランプ前米大統領が記者会見で「妊娠中のタイレノール(アセトアミノフェン)服用は自閉症を引き起こす」と警告しました。同氏は食品医薬品局(FDA)に対し医師へ服用制限を指示する方針を示し、アセトアミノフェンを含む市販薬のラベル変更を求めると発言しました[7]。この発言に対し、医療界では「科学的根拠が乏しい」と強い反発が起こり、一般の妊婦や医療従事者にも混乱が広がっています。本記事では、アセトアミノフェンと神経発達障害との関連を示した研究を整理し、現時点の医学的コンセンサスを分かりやすく解説します。最後に、誤情報が社会に与える影響についても考察します。
アセトアミノフェンとは何か?
アセトアミノフェン(日本では「カロナール」「タイレノール」などの名称で販売)は、痛みや発熱を抑える市販薬です。世界中で妊婦の半数以上が使用しているとされ、NSAIDs(イブプロフェンやナプロキセン)より胎児への安全性が高いことから、各国の産科ガイドラインで妊娠中の第一選択薬と位置付けられています[2]。妊婦に使用できる鎮痛解熱薬は限られており、NSAIDsは20週以降の使用で胎児の腎障害や羊水過少を引き起こす可能性があるため、FDAは「30週以降は使用を避け、20〜30週でも必要最低限に留める」よう警告しています[6]。また、オピオイドやアミグダリンは胎児の呼吸抑制や薬物依存症リスクが報告されるため通常は使用しません。こうした背景から、アセトアミノフェンは妊婦が発熱や頭痛を安全に治療できる数少ない薬として長年用いられてきました。
一方、アセトアミノフェンの使用は「母子ともに安全」というイメージが強く、多くの妊婦が発熱時や頭痛時に自己判断で服用しています。しかし、薬が胎盤を通過して胎児にも届くことは事実であり、近年は胎児の脳発達への影響が研究されています。「どの薬も使わないに越したことはない」という前提を踏まえつつ、必要時には最小有効量・最短期間の使用が望ましいとされています。
観察研究が示す「関連性」
過去10年ほどで、アセトアミノフェン使用と子どもの神経発達障害(自閉症スペクトラム障害〔ASD〕や注意欠如・多動症〔ADHD〕)との関連を調べた観察研究が数多く発表されました。特に2018年のメタ解析では、妊娠中のアセトアミノフェン使用がADHDのリスクを34%増加、ASDのリスクを19%増加させるという結果が示されています[1]。下図は同メタ解析で報告されたアウトカム別のリスク比を示したものです。横軸は疾患名、縦軸はリスク比で、1.0が「リスク増加なし」を意味します。

著者らは「全体としてアセトアミノフェン暴露と神経発達障害リスクの関連を支持する証拠がある」と結論づけましたが、このレビューも観察研究の集積による相関分析にとどまり、因果関係を証明していません。研究の質が高いほど関連が見られる傾向があると指摘する一方で、「使用を中止すべき」とは述べておらず、必要時には医師と相談のうえ最小用量で使用すべきと助言しています[2]。
大規模コホート研究は因果性を否定
2024年には、スウェーデン全国出生コホートを対象とした大規模研究がJAMA誌に掲載されました。約248万人の子どもを対象に、母親の妊娠中のアセトアミノフェン使用履歴と子どものASD、ADHD、知的障害の発症リスクを検討したものです。単純な比較ではわずかなリスク上昇が見られたものの(自閉症:ハザード比1.05、ADHD:1.07)、兄弟間で比較するsibling control解析ではその関連が消失し、自閉症0.98、ADHD0.98、知的障害1.01と有意差なしとなりました[3]。以下の図は、兄弟制御モデルの有無によるハザード比の違いを示しています。

さらに、この研究では絶対リスク差も報告されています。例えば、10歳時点で自閉症を発症する絶対リスクは、アセトアミノフェン非使用群で1.33%、使用群で1.53%であり、その差は0.09%(1万人に9人程度)でした[3]。兄弟制御解析で関連が消失したことから、著者らは「これまで観察された関連は家族内の遺伝的要因や環境要因による見かけ上のものである可能性が高い」と結論づけています[3]。
鎮痛薬の使用状況と代替薬の課題
スウェーデン研究は妊娠中の鎮痛薬使用状況も報告しており、**アセトアミノフェンが7.5%と最多で、次いでオピオイド3.3%、NSAIDs2.5%、アスピリン1.6%、抗偏頭痛薬0.8%**でした[3]。以下の図はこれらの使用率をまとめたものです。
研究は妊娠中の鎮痛薬使用状況も報告しており、**アセトアミノフェンが7.5%と最多で、次いでオピオイド3.3%、NSAIDs2.5%、アスピリン1.6%、抗偏頭痛薬0.8%**でした[3]。以下の図はこれらの使用率をまとめたものです。

NSAIDsは20週以降で胎児の腎機能に影響し羊水過少を引き起こすおそれがあるため、FDAは20週以降の使用を避けるよう勧告しており、使用する場合も最小用量・最短期間に留めるべきとしています[6]。アスピリンは妊娠高血圧症候群の予防目的で低用量を処方されることはありますが、鎮痛目的では勧められていません。また、オピオイドは呼吸抑制や新生児禁断症候群のリスクがあるため、やむを得ない場合を除き禁忌です。このように代替薬が限られているため、アセトアミノフェンは依然として妊娠中に使用できる貴重な鎮痛解熱薬です。
公的機関の見解とガイドライン
国際コンセンサス声明
2021年に発表された国際コンセンサス声明は、動物実験や観察研究からの知見を踏まえ、妊婦に対して**「アセトアミノフェンは医療上必要な場合にのみ使用すべきであり、使用する場合は最小有効量を最短期間で」**と注意喚起しました[4]。この声明は91名の科学者や医師が署名しており、「使用が適切か迷う場合は医師または薬剤師に相談すること」を推奨しています[4]。ただし、声明そのものは「胎児への影響が確定的だ」とは述べておらず、あくまでも「予防原則」に基づく慎重な姿勢を求めたものです.
ACOG(米国産婦人科学会)の反応
コンセンサス声明の発表後、米国産婦人科学会(ACOG)は公式声明で「アセトアミノフェンは妊婦が使用できる唯一に近い安全な鎮痛解熱薬であり、現時点の証拠では発育障害との因果関係を示すものはない」と表明しました[5]。ACOGは「臨床医は現行のガイドラインを変更すべきではなく、患者は必要時にアセトアミノフェンを使用して良い」と強調するとともに、「薬の使用は医師と相談しながら行い、漫然と長期使用しないこと」を推奨しています[5].
FDAの警告
FDAは2020年にNSAIDsに関する安全性情報を更新し、妊娠20週以降のNSAIDs使用で胎児の腎障害や羊水過少のリスクが高まると警告しました[6]。同時に、他の鎮痛薬としてアセトアミノフェンを適切に使用するよう勧めています[6]。2025年9月にはトランプ政権の発表を受けて、FDAがアセトアミノフェンのラベルに注意喚起を追記する方向で検討していると報じられましたが、現段階で使用禁止の勧告は出していません。
トランプ氏の発言と社会的影響
AJMCの報道によると、トランプ氏は2025年9月の記者会見で「タイレノール服用が自閉症の大きな要因である」「医師は妊婦に対して服用を控えるよう助言すべきだ」と述べ、FDAのラベル変更と医師への通知を命じる方針を示しました[7]。同記事は、トランプ氏の主張が複数の観察研究やPradaらのレビューを根拠にしている一方で、スウェーデンの大規模コホート研究では関連が否定されていることも併せて紹介しています[7]。さらに、アセトアミノフェン製造元のKenvue(旧ジョンソン・エンド・ジョンソン)は、「アセトアミノフェンと自閉症の因果関係は認められない」とする声明を発表し、妊婦は医療者と相談すべきだと述べています[7].
政治的発言が科学的コンセンサスと乖離すると、妊婦や一般市民に不必要な不安を与え、医療不信や誤情報の拡散につながるおそれがあります。妊婦が必要な薬を我慢して高熱や強い痛みを放置すれば、胎児に悪影響が出る可能性があることも知られています。したがって、医療者は患者に対して最新のエビデンスに基づいたバランスの取れた説明を行うとともに、誤った情報には速やかに訂正を行う必要があります。
まとめ
- アセトアミノフェンは妊婦が使用できる数少ない鎮痛解熱薬であり、NSAIDsやオピオイドより安全性が高い。使用する際は最小有効量・最短期間を守り、必要か迷う場合は医師に相談する。
- 観察研究の一部では自閉症やADHDとの関連が報告されているが、最新の大規模研究や兄弟内比較研究では因果関係が否定されている。リスクが示されても差は極めて小さく、絶対リスク差は0.09%程度に過ぎない[3].
- 国際コンセンサス声明は「予防原則」に基づき慎重な使用を呼びかけたが、ACOGやFDAなどの主要機関は現時点でガイドラインを変更する必要はないとの立場を示している[5][6].
- トランプ氏の発言は政治的な意図が強く、科学的根拠に乏しい。こうした発言に惑わされず、妊婦は医療者と相談のうえ適切な治療を受けることが重要である。
参考文献
- Masarwa R, Levine H, Gorelik E, Matok I. Prenatal exposure to acetaminophen and risk for attention deficit hyperactivity disorder and autistic spectrum disorder: a systematic review, meta-analysis, and meta-regression analysis of cohort studies. American Journal of Epidemiology. 2018;187(8):1817–1827.
- Prada D, Ritz B, Bauer AZ, Baccarelli AA. Evaluation of the evidence on acetaminophen use and neurodevelopmental disorders using the Navigation Guide methodology. Environmental Health. 2025;24:56.
- Ahlqvist VH, Sjöqvist H, Dalman C, et al. Acetaminophen use during pregnancy and children’s risk of autism, ADHD, and intellectual disability. JAMA. 2024;331(14):1205–1214.
- Mitchell RT, Kriebel D, Herbert MR, et al. Paracetamol use during pregnancy – a call for precautionary action. Nature Reviews Endocrinology. 2021;17(12):757–766.
- American College of Obstetricians and Gynecologists (ACOG). Response to Consensus Statement on Paracetamol Use During Pregnancy. 2021年9月23日発表.
- U.S. Food and Drug Administration (FDA). Nonsteroidal Anti‑Inflammatory Drugs (NSAIDs): Drug Safety Communication – Avoid Use of NSAIDs in Pregnancy at 20 Weeks or Later. 2020年10月.
- McCormick B. Trump Administration Flags Potential Link Between Prenatal Acetaminophen Use, Autism. American Journal of Managed Care. 2025年9月22日.
- Ahlqvist VH, et al. Supplementary data on analgesic use during pregnancy. In: Ahlqvist VH et al., 2024.