「末期」という言葉には、どこか一本の線が引かれているような響きがあります。しかし実際の乳がんの経過は、その言葉から想像されるほど単純ではありません。転移が見つかってから何年も仕事を続けている方もいれば、症状のコントロールに毎日の工夫が必要な時期に入る方もいます。

この記事では、進行した乳がん(転移・再発乳がん)でどんなことが起こり、どんな治療とケアの選択肢があるのかを、専門用語をできるだけかみくだいて整理します。そのうえで、「家で過ごす」という選択肢=在宅診療について、他の解説より一段深く踏み込んで説明します。

この記事の要点
  • 転移・再発乳がんは「治しきる」ことは難しくても、長く付き合える病気になってきています。治療の目標は「生きる時間を延ばすこと」と「生活の質を保つこと」の両方です。
  • がんそのものへの治療と、つらさをやわらげる緩和ケアはどちらか一方ではなく、並行して行うものです。
  • 骨の痛みには放射線治療という有力な選択肢があり、1回で終わる照射でも十分な効果が期待できる場合があります。
  • 在宅診療では、痛み止めの調整、点滴や医療用麻薬の持続投与、看取りまでを家で行えます。入院に戻る選択肢はいつでも残されています。
  • 介護保険は40歳から使えます。「がん」は特定疾病に含まれているためです。申請が遅れると間に合わないことがあるので、早めの相談が要です。

01まず「末期」という言葉を整理する

医療の現場では、「末期」という言葉が二つの違う意味で使われていて、それが混乱のもとになっています。

(1)転移・再発乳がん=ステージIVや再発した状態

乳がんが乳房やわきのリンパ節を越えて、骨・肺・肝臓・脳などに広がった状態です。手術で取りきることを目指す段階ではなくなり、全身に効く薬(薬物療法)が治療の中心になります。日本乳癌学会のガイドラインでも、転移・再発乳がんの薬物療法の目的は延命とQOL(生活の質)の維持・改善であると明記されています。1)

ここで大事なのは、ステージIV=余命わずか、ではないということです。たとえばホルモン受容体陽性・HER2陰性という最も多いタイプでは、内分泌療法にCDK4/6阻害薬という薬を加える治療で、生存期間の中央値が5年を超えたという国際的な臨床試験の報告があります(リボシクリブ+レトロゾール群63.9か月 対 レトロゾール単独群51.4か月)。2)

注意この5年超という数字は、ホルモン受容体陽性・HER2陰性の、まだ治療を始めていない閉経後の方を対象とした一次治療の成績です。トリプルネガティブ乳がんや、内臓に広く転移して急速に進んでいる場合は、経過がまったく異なります。数字はあくまで「タイプと状況によって大きく違う」ことを示すもので、個々の方の見通しをそのまま表すものではありません。

(2)終末期=残された時間が数か月と見込まれる時期

もう一つの「末期」は、抗がん治療の効果が期待しにくくなり、体力の低下が目立ってきた時期を指します。介護保険や訪問看護の制度上の「がん末期」「末期の悪性腫瘍」という言葉は、おおむねこちらの意味です。

(1)から(2)へは、ある日はっきり切り替わるわけではありません。多くの場合、治療を続けながら少しずつ重心が移っていくという表現のほうが実態に近いと思います。

02乳がんが進んだとき、体に何が起こるか

乳がんは転移する場所にある程度の傾向があり、症状もそれに応じて現れます。まず全体像を図で示します。

図1 乳がんが転移しやすい部位と、そこで起こりやすい症状 脳への転移 頭痛・吐き気、手足の力が入らない、 ものが二重に見える、けいれん 肺・胸膜への転移 息切れ、乾いた咳、胸の痛み、 胸に水がたまる(胸水) 肝臓への転移 だるさ、食欲が落ちる、みぞおちの 張り、黄疸、おなかに水がたまる 骨への転移(最も多い) 背中・腰・肋骨の痛み、動くと痛む、 骨折、背骨の場合は足のしびれ・ まひ(脊髄圧迫=すぐ受診) 胸壁・皮膚への広がり 皮膚が赤くなる・かたくなる、傷が 開く、においが出る、にじむ出血 リンパの流れの停滞 手術や放射線、リンパ節転移により 腕がむくむ(リンパ浮腫) すぐに連絡・受診が必要なサイン ・足に力が入らない/しびれが急に広がる/尿が出にくい(背骨の転移による脊髄圧迫の可能性) ・急に強くなった息切れ ・けいれん ・強い頭痛と嘔吐 ・止まらない出血

図1:乳がんの転移は骨に最も多く、次いで肺・肝臓・脳の順に多いとされます。症状は転移した場所によって異なり、同じ「進行した乳がん」でも困りごとは人によって大きく違います。

重要背骨の転移によって脊髄が圧迫されると、時間単位で足のまひが進むことがあります。「足に力が入らない」「しびれが広がってきた」「尿が出にくい」といった変化は、様子を見ずにその日のうちに主治医へ連絡してください。早く対応できれば歩ける状態を保てる可能性が高くなります。

03治療の考え方 ―― タイプによって道筋が変わる

転移・再発乳がんの治療は、「がんのタイプ」と「今どれくらい差し迫っているか」の2つで方針が決まります。

3つのタイプで治療の入り口が違う

タイプ特徴主に使われる治療
ホルモン受容体陽性
HER2陰性
最も多いタイプ。女性ホルモンを栄養にして増える内分泌療法(ホルモン療法)+CDK4/6阻害薬などの分子標的薬。効きが弱くなったら別の内分泌療法へ、それでも進行すれば化学療法へ
HER2陽性HER2というたんぱくが増殖を促している抗HER2薬(抗体薬・抗体薬物複合体など)を軸にした治療。近年の進歩が最も大きい領域
トリプルネガティブホルモン受容体もHER2も陰性化学療法が基本。条件によって免疫チェックポイント阻害薬、抗体薬物複合体、BRCA遺伝子変異があればPARP阻害薬

「まず内分泌療法から」が原則になる理由

ホルモン受容体が陽性で、かつ命に差し迫った危険がない場合には、体への負担が軽い内分泌療法から始め、効かなくなったら次の内分泌療法へ、それも効かなくなったら化学療法へと進めるのが原則です。一方、肝臓や肺に広く転移して呼吸や肝機能が急速に悪化しているような場合(内臓クリーゼと呼ばれます)は、効果が早く出る化学療法から始めます。1)

骨転移には「骨を守る薬」を併用する

骨転移がある場合、骨を壊す細胞のはたらきを抑える薬(デノスマブやゾレドロン酸などの骨修飾薬)を、がんの治療と並行して使います。骨折や強い痛みといった「骨に関するトラブル」を減らす目的です。歯科治療との関係で顎の骨に副作用が出ることがあるため、開始前に歯科を受診しておくことが勧められます。

「治療をやめる」も、ひとつの医学的判断

薬物療法は無限に続けられるものではありません。体力が落ちてくると、抗がん剤の副作用のほうが、がんの症状より生活を苦しくすることがあります。抗がん治療をいったん区切ることは「あきらめ」ではなく、残された体力をどこに使うかという選択です。この判断は、主治医と、そしてご本人・ご家族が一緒に行うものです。

04つらさをやわらげる治療(緩和ケア)

緩和ケアは「最後にやること」ではない

緩和ケアは終末期のものというイメージが根強く残っていますが、これは正しくありません。転移のある肺がんの方を対象にした有名な臨床試験では、診断のごく早い段階から緩和ケアを並行して受けた群のほうが、生活の質が高く、抑うつが少なく、そして生存期間の中央値も長かった(11.6か月 対 8.9か月)という結果が報告されました。3)この研究は肺がんを対象とした単一施設の研究であり、日本にそのまま当てはめられるわけではありませんが、少なくとも「緩和ケアを早く始めると寿命が縮む」ということはないという点は、繰り返し確認されています。

痛み ―― 医療用麻薬についての誤解を解く

骨転移などによる痛みには、医療用麻薬(オピオイド)が中心的な役割を果たします。ここでよくある3つの心配に、はっきりお答えします。

Q麻薬中毒になりませんか?
痛みのある方が痛みを取る目的で医師の管理下に使う場合、いわゆる依存症になることはまずありません。

Q使い始めると寿命が縮みませんか?
適切な量で使う限り、命を縮めることはありません。むしろ痛みで眠れず、食べられず、動けない状態のほうが体力を奪います。

Q今使うと、最後に効かなくなりませんか?
オピオイドには「これ以上増やせない上限」がありません。必要になれば増量できますし、種類を変える方法(オピオイドスイッチング)もあります。

飲み薬が飲みにくくなれば貼り薬に、それも難しければ皮下注射に、というように、体の状態に合わせて投与経路を変えていけるのが痛み治療の強みです。この点は在宅でも変わりません(第5章で詳しく述べます)。

骨の痛みには放射線治療という選択肢がある

痛みのある骨転移に対する放射線治療は、痛み止めと並ぶ有力な選択肢です。日本乳癌学会のガイドラインでは、放射線治療によって70〜80%の割合で痛みがやわらぐと記載されています。4)

数字の読み方骨転移の緩和照射の有効率は、資料によって「59〜73%」「70〜80%」など幅があります。これは「痛みが少しでも軽くなった人」を数えるか、「痛み止めの量まで含めて評価するか」など、判定基準が研究ごとに違うためです。ちなみに「痛みが完全に消えた人」に限ると23〜34%程度と報告されています。5)いずれの基準でも、多くの方に効果が期待できるという結論は共通しています。

そして知っておいていただきたいのが、照射の回数です。従来は10回(30 Gy/10回)などに分けて行うのが標準でしたが、複数の比較試験とその統合解析により、1回だけの照射(8 Gy/1回)でも、痛みをやわらげる効果は分割照射と同等であることが示されています。WHOのガイドラインは、患者さんの負担を考えてこの単回照射を積極的に使うよう強く推奨しています。4)6)

これは在宅療養中の方にとって、とても実際的な意味を持ちます。体力が落ちている方に「10日間通ってください」は現実的でなくても、「1日だけ病院へ行けば痛みが軽くなるかもしれない」なら検討できるからです。単回照射は、あとで痛みが戻ったときに再照射が必要になる割合がやや高いという特徴がありますが、再照射も選択肢として確立しています。4)

現状の課題日本では、症状があるのに放射線治療科に紹介されていないケースが少なくないことが、日本放射線腫瘍学会からも指摘されています。7)「骨の痛みがつらい」と感じたら、放射線治療という選択肢があるかどうかを、遠慮なく主治医に尋ねてください。

息苦しさ・胸水

胸に水がたまって息苦しいときは、針を刺して水を抜く処置(胸腔穿刺)で症状が軽くなります。繰り返す場合には、細い管を留置したり、胸膜を癒着させる処置を検討します。また、酸素の値が下がっていなくても、少量のモルヒネが息苦しさそのものをやわらげることが知られており、扇風機やうちわで顔に風を当てるだけでも楽になる方が多くいます。

皮膚に出た傷の、におい・出血

乳がんは、進行すると皮膚を破って傷(がん性皮膚潰瘍)をつくることがあります。この傷に嫌気性菌という細菌が繁殖すると、強いにおいが出ます。においは、人と会うこと自体をためらわせ、生活の質を大きく損ないます。ご本人が最もつらく感じる症状のひとつです。

これに対しては、WHOやASCOのガイドラインでメトロニダゾールの外用が推奨されており、日本でも2015年にがん性皮膚潰瘍のにおいを軽減する塗り薬(メトロニダゾールゲル)が保険で使えるようになりました。8)あわせて、ぬるま湯や生理食塩水でたっぷり洗い流すこと、においを吸着するシートを重ねること、こまめな換気が有効です。芳香剤はにおいと混ざってかえって不快になることがあるため、使い方に注意が必要です。8)

リンパ浮腫

腕のむくみに対しては、圧迫(弾性スリーブ・包帯)、スキンケア、無理のない運動が基本です。強くもみほぐすマッサージは適切ではありません。皮膚が傷つくと蜂窩織炎という感染を起こしやすいため、保湿とけがの予防が何より重要です。

05【深掘り】在宅診療という選択肢

ここからが本題です。「家で過ごしたい」という希望はよく聞かれますが、実際に何ができて、何ができないのか、誰が来てくれるのか、費用はどうなるのか、夜中に何かあったらどうするのか ―― こうした具体的なことが分からないために、選択肢から外れてしまうことが少なくありません。順に説明します。

5-1 訪問診療と往診の違い

まず言葉の整理です。

  • 訪問診療:あらかじめ計画を立てて、定期的に(多くは2週間に1回、状態により週1回以上)医師が自宅へ伺う診療です。
  • 往診:「熱が出た」「痛みが強くなった」など、その都度の求めに応じて臨時に伺う診療です。

在宅診療は、この二つを組み合わせて成り立ちます。定期的に伺って先回りしておく(訪問診療)から、いざというときの往診が的確にできる、という関係です。24時間の連絡体制をとっている在宅療養支援診療所であれば、夜間・休日も電話がつながり、必要と判断すれば医師や看護師が伺います。

5-2 家でできること・できないこと

項目自宅で対応できること
痛みの治療飲み薬・貼り薬の調整、レスキュー(頓用)の使い方指導、皮下からの持続注射(ポンプ)まで対応可能
点滴脱水の補正、抗菌薬、栄養の補助。皮下点滴という、血管を確保しなくてよい方法も使えます
酸素在宅酸素療法(酸素濃縮器)を導入できます
傷の処置訪問看護師が定期的にケア。においや出血への対応も含みます
採血・検査採血、簡易的な超音波検査、心電図などは自宅で可能です
看取り自宅での看取り、死亡診断書の交付まで対応します

一方、CTやMRI、放射線治療、輸血、胸水を抜く処置の一部、手術などは病院で行います。ここが在宅診療の誤解されやすいところなのですが、在宅を選ぶことは病院を手放すことではありません。必要なときに病院へ行き、また家に戻る。多くの在宅療養は、この行き来のうえに成り立っています。

5-3 家を支えるチームの全体像

図2 在宅療養を支えるチーム ご本人 ご家族 訪問診療医 診察・処方・24時間対応・看取り がん治療の主治医 薬物療法・放射線・入院の受け皿 訪問看護師 症状の観察・処置・家族の支え 薬局(訪問薬剤師) 配達・麻薬の管理・飲み方の相談 ケアマネジャー 介護保険の調整・全体の司令塔 ヘルパー 入浴・排泄・食事・家事の支援 福祉用具・住宅改修 介護ベッド・車いす・手すり リハビリ職 動作の工夫・楽な姿勢・むくみ対応 情報はケアマネジャーと訪問診療医を中心に共有され、同じ方針でケアが行われます

図2:在宅療養は一人の医師が支えるものではなく、複数の職種のチームで成り立ちます。「誰に何を相談すればよいか分からない」ときは、まずケアマネジャーか訪問看護師に伝えれば、必要な職種につながります。

5-4 保険の使い分け ―― ここでつまずく人が多い

在宅療養では、医療保険と介護保険という2つの制度を同時に使います。ややこしいのですが、要点は3つだけです。

図3 がんの在宅療養で使う2つの保険 医療保険 担当するもの ・訪問診療、往診 ・薬、点滴、医療処置 ・訪問看護(がん末期の場合) 自己負担 年齢・所得に応じて1〜3割 高額療養費制度で上限あり 介護保険 担当するもの ・ヘルパー(入浴・排泄・家事) ・介護ベッド、車いす、手すり ・ショートステイ、デイサービス 使える人 65歳以上、または40〜64歳で 「がん」など16の特定疾病の方 おさえておきたいポイント ① 訪問看護は通常は介護保険が優先だが、「末期の悪性腫瘍」は医療保険での訪問になる(別表第七) ② そのため週4日以上、1日に複数回の訪問が可能になり、介護保険の支給限度額も消費しない

図3:訪問看護の保険がどちらになるかで、訪問できる回数と、介護保険の枠の使い方が変わります。この判断は事業所側が行いますので、ご家族が覚える必要はありません。

① 介護保険は40歳から使えます

介護保険は65歳以上の制度と思われがちですが、40〜64歳の方でも、老化に関係する16の「特定疾病」が原因で介護が必要になった場合には使えます。その16疾病の筆頭に「がん(末期)」が入っています。9)介護ベッドや車いすのレンタル、ヘルパーによる入浴介助などが1〜3割負担で使えるようになるため、在宅療養の土台になります。

申請のコツ申請書に「末期がん」と書くのは、ご本人にとって非常につらいことです。この点については厚生労働省が2019年に通知を出しており、65歳未満の方の申請書でも、単に「がん」と記載されていれば受理して差し支えないとされています。10)申請をためらう理由にはなりません。

時間との勝負要介護認定は申請から結果が出るまで1か月前後かかることがあり、認定を待っている間に状態が変わってしまうことは珍しくありません。国立がん研究センターの遺族調査でも、介護保険を使えなかった方のうち約半数が「認定調査を受ける前に亡くなった」と回答しています。11)結果が出る前でも「暫定ケアプラン」でサービスを先に始められる仕組みがありますので、「まだ早いかな」と思う段階で相談を始めるのが正解です。

② がん末期の訪問看護は「医療保険」になり、回数の制限が緩みます

訪問看護は、要介護認定を受けている方では通常は介護保険が優先されます。ただし厚生労働大臣が定める疾病等(いわゆる別表第七)に該当する場合は医療保険での訪問となり、その筆頭が「末期の悪性腫瘍」です。12)

実務上の意味は大きく、原則週3日までという制限を超えて週4日以上訪問できること、必要に応じて1日に複数回訪問できること、複数の訪問看護ステーションが関われることなどが可能になります。さらに、介護保険の支給限度額を消費しないため、その分をヘルパーや福祉用具に回せます。状態が日ごとに変わる時期に、これは大きな安心につながります。

③ 医療費には上限があります

在宅診療は「お金がかかりそう」と思われがちですが、医療保険の高額療養費制度により、1か月の自己負担には所得に応じた上限があります。事前に「限度額適用認定証」(またはマイナ保険証の利用)を用意しておけば、窓口での支払い自体を上限までに抑えられます。

5-5 痛みのコントロールを、家でどう行うか

「家では十分な痛み止めが使えないのでは」という心配をよく伺いますが、これは事実ではありません。むしろ、生活の場で痛みを評価できる分、細やかな調整がしやすい面もあります。

  • 飲み薬・貼り薬:定期薬に加えて、痛みが強くなったときに使う「レスキュー」を必ず手元に用意します。1日に何回レスキューを使ったかを記録しておくと、定期薬の量を調整する根拠になります。
  • 飲み込みが難しくなったら:貼付剤(フェンタニル貼付剤)や坐薬に切り替えます。
  • それでも足りないとき:おなかや胸の皮膚から細い針で薬を少しずつ入れ続ける持続皮下注射を、自宅で行えます。小型のポンプを使い、痛みが強いときはご本人やご家族がボタンを押して追加投与できる仕組み(PCA)にもできます。血管を確保する必要がなく、入浴もできます。
  • 眠気とのバランス:「痛みは取りたいが、ぼんやりしたくない」という希望はとても大切な情報です。目標を「痛みゼロ」ではなく「夜眠れること」「トイレまで歩けること」といった生活の形で設定すると、調整がうまくいきます。

ご家族へ医療用麻薬は法律上の管理が必要ですが、ご家庭では鍵付きの引き出しなどに保管し、使った分を記録していただければ十分です。余った分は薬局や訪問看護師にお返しください。捨て方に迷ったら必ずご相談を。

5-6 食べられなくなったとき ―― 点滴をどう考えるか

在宅療養で最もご家族が苦しむのが、この問題です。「食べないと弱ってしまう」「点滴だけでもしてあげたい」というお気持ちは、ごく自然なものです。

ただ、がんの終末期には、食べられないから弱るのではなく、病気が進んで体が栄養を使えなくなった結果として食べられなくなるという順番になります。この時期に点滴の量を増やすと、水分が血管の外にしみ出して、むくみ、痰の増加、胸水・腹水の悪化、呼吸の苦しさにつながることがあります。日本緩和医療学会のガイドラインでも、終末期には輸液量を控えめにすることが検討課題として挙げられています。13)

とはいえ「一切点滴しない」が正解というわけでもありません。脱水によるだるさやせん妄には少量の輸液が有効なこともあります。その時々の体の状態を見ながら、量を増やしたり減らしたりして決めていく――これが在宅診療のやり方です。

そして、食べることの意味は栄養だけではありません。好きなものをひと口味わうこと、家族と同じ食卓につくことは、それ自体が大切なケアです。むせないよう形を工夫しながら、「食べたいときに、食べたいものを、食べられるだけ」で構いません。

5-7 これから起こることの見通し

先の見通しが分からないことは、それ自体が大きな不安です。がんの場合、経過にはある程度共通した形があることが知られています。

図4 がんの経過にみられる「体の元気さ」の推移(イメージ) 高い 低い 体の元気さ → 時間の経過 比較的元気に過ごせる時期 通院・仕事・旅行ができる方も多い。ここで準備を進める 最後の1〜2か月で急に低下する 起き上がれない・食べられない期間は比較的短い この下り坂に入る前に 在宅の体制を整えておくのが理想

図4:がんは、心不全や認知症と比べて「最後まで比較的元気で、終盤に短期間で低下する」という経過をとりやすいとされます。これは裏を返すと、準備をする時間が十分にあるということでもあります。あくまで典型例のイメージであり、実際の経過は個人差があります。

下り坂に入ってから慌てて在宅の準備を始めると、介護保険の認定もベッドの手配も間に合いません。「まだ元気なうちに、選択肢だけ用意しておく」――これが在宅診療を上手に使う最大のコツです。使わずに済めば、それでよいのです。

5-8 急変したとき、そして看取りのとき

まず在宅の主治医に電話を

夜中に痛みが強くなった、息が苦しそう、意識がはっきりしない ―― こうしたときは、救急車より先に、在宅の主治医や訪問看護ステーションに電話をしてください。24時間対応の体制をとっている在宅療養支援診療所であれば、電話で指示が出せることも多く、必要なら往診します。

もちろん、救急車を呼ぶことが間違いなわけではありません。ただ、あらかじめ「こういうときはこうする」と決めておくと、ご家族が真夜中に一人で判断せずに済みます。

呼吸が止まったとき、慌てて119番しなくてよい

これは、ぜひ知っておいていただきたいことです。在宅で最期を迎えられたとき、まずご連絡いただくのは在宅の主治医です。医師が伺い、診察のうえで死亡診断書を交付します。

「最後の診察から24時間以上経っていると警察を呼ばなければならない」という話を耳にされたことがあるかもしれませんが、これは誤解です。医師法第20条のただし書きの解釈として、診療していた病気に関連する死亡であると診察のうえで判断できれば、最後の診察から24時間を過ぎていても死亡診断書を交付できることが、厚生労働省から明確に示されています。14)

ご家族へ呼吸が止まってから連絡するまでに時間が空いても、何も問題ありません。すぐに何かをしなければならない、ということはないのです。お別れの時間を過ごしてから、落ち着いてご連絡ください。

5-9 ご家族の負担と、退く道の確保

在宅療養で最も見落とされがちなのが、支えるご家族の消耗です。とくに夜間の対応が続くと、介護している方が先に倒れてしまいます。

  • レスパイト入院:ご家族の休息のために、数日から2週間程度入院していただく仕組みです。「介護に疲れたから」という理由で構いません。
  • ショートステイ:介護保険で施設に短期間泊まる仕組みです。
  • 訪問入浴:浴槽を持ち込んで自宅で入浴していただけます。寝たきりの方でも入れます。
  • 緩和ケア病棟(ホスピス)への切り替え:在宅を始めたあとでも、緩和ケア病棟に移ることはできます。待機期間があることが多いので、在宅と並行して早めに面談だけ済ませておくのが実際的です。

「家で看取ると決めたら、最後まで家でやり通さなければならない」ということは一切ありません。途中で病院に移ることは、失敗でも約束違反でもありません。退く道が確保されているからこそ、安心して家で過ごせるのだと考えています。

5-10 どこで過ごしたいか、を言葉にしておく

元気なうちに、これからの医療やケアについて話し合っておく取り組みを、アドバンス・ケア・プランニング(人生会議)と呼びます。難しく考える必要はなく、答えを一度で決める必要もありません。次のようなことを、家族や医療者と少しずつ話しておくだけで、いざというときの助けになります。

  • できるだけ家で過ごしたいか、それとも病院のほうが安心か
  • 眠気があっても痛みを取りたいか、多少痛くても意識をはっきりさせたいか
  • 食べられなくなったとき、点滴や栄養についてどうしたいか
  • 自分で判断できなくなったとき、誰に決めてほしいか
  • 会っておきたい人、済ませておきたいこと

考えは途中で変わって構いません。変わったら、その都度伝えていただければ、それが最新の希望になります。

06使える制度の早見表

制度内容相談先
高額療養費制度1か月の医療費自己負担に所得別の上限を設ける。事前に限度額適用認定証を用意すると窓口負担が抑えられる加入している健康保険(協会けんぽ・健保組合・市区町村)
介護保険40歳以上。がんは特定疾病に該当。ヘルパー、介護ベッド、入浴サービスなど市区町村の介護保険窓口、地域包括支援センター
傷病手当金会社員などが働けない期間の所得補償(最長1年6か月)加入している健康保険
身体障害者手帳人工肛門、リンパ浮腫による機能障害などで該当することがある。税や公共料金の軽減につながる市区町村の障害福祉窓口
緩和ケア病棟症状緩和を専門に行う病棟。在宅と併用でき、切り替えも可能がん相談支援センター、主治医
がん相談支援センター治療・お金・仕事・生活の相談窓口。他院にかかっている方でも、家族だけでも、無料で相談できるがん診療連携拠点病院

07よくいただくご質問

Q. 在宅診療に切り替えると、病院の主治医との関係は切れてしまいますか?
A. いいえ。多くの場合、病院での薬物療法を続けながら在宅診療を併用します。治療が一段落したあとも、病状の相談や入院が必要になったときの受け皿として、病院とのつながりは維持します。診療情報は双方でやりとりします。
Q. 一人暮らしでも家で過ごせますか?
A. 条件次第ですが、可能な場合があります。訪問看護の回数を増やし、ヘルパーや配食、見守り機器を組み合わせて体制をつくります。ただし介護が必要な度合いが上がると難しくなる時期が来ますので、その時点での選択肢(施設・緩和ケア病棟)もあわせて準備しておきます。
Q. 家族が仕事をしています。日中は誰もいません。
A. よくあるご相談です。訪問看護・ヘルパーの時間を日中に集め、緊急時の連絡先をご家族の携帯に設定します。「日中に誰かがいなければ在宅は無理」ということはありません。
Q. 家で急に苦しみだしたらと思うと怖いです。
A. その不安はもっともです。だからこそ、苦しくなったときに使う薬(痛み・息苦しさ・不安に対する頓用薬)を、あらかじめご自宅に置いておきます。使い方は訪問看護師が実際に見せながら説明します。「手元に薬がある」という事実だけで、不安がかなり軽くなる方が多くいらっしゃいます。
Q. 費用はどのくらいかかりますか?
A. 医療保険の自己負担割合と所得によりますが、高額療養費制度の上限が適用されます。介護保険サービスの分は別枠で、こちらにも上限があります。具体的な見込み額は、ご事情を伺えばお伝えできますので、遠慮なくご相談ください。

08おわりに

進行した乳がんの療養で本当に決めなければならないのは、「どの治療を受けるか」だけではありません。どこで、誰と、どんなふうに時間を使いたいか――そこまで含めて医療の話だと、私たちは考えています。

痛みは、取れます。息苦しさも、においも、やわらげる方法があります。家で過ごすと決めても、途中で気が変わって構いません。選択肢を知っておくことは、その選択肢を選ぶことと同じではありません。知っておくだけで、これからの時間の使い方は変わります。

ふくろう訪問クリニックにご相談ください

当院は福岡市早良区を拠点に、緩和ケア・難病・精神科・認知症の在宅診療を行っている訪問診療専門のクリニックです。24時間の連絡体制のもと、痛みや息苦しさのコントロール、在宅での看取りまで対応しています。併設の訪問看護リハビリステーションと連携し、看護・リハビリまで一体でお支えします。

「まだ在宅を始める段階ではないけれど、話だけ聞いてみたい」というご相談も歓迎です。ご本人だけでなく、ご家族だけのご相談、退院前のご相談、他院に通院中の方のご相談も承ります。まずはお電話またはお問い合わせフォームからご連絡ください。

09参考文献

  1. 1) 日本乳癌学会 編. 乳癌診療ガイドライン① 治療編 2022年版(第5版). 金原出版, 2022.(薬物療法「転移・再発乳癌の治療」総説)
  2. 2) Hortobagyi GN, Stemmer SM, Burris HA, et al. Overall survival with ribociclib plus letrozole in advanced breast cancer. N Engl J Med. 2022;386(10):942–950. doi:10.1056/NEJMoa2114663
  3. 3) Temel JS, Greer JA, Muzikansky A, et al. Early palliative care for patients with metastatic non–small-cell lung cancer. N Engl J Med. 2010;363(8):733–742. doi:10.1056/NEJMoa1000678
  4. 4) 日本乳癌学会 編. 乳癌診療ガイドライン 2022年版 放射線療法 BQ11「有痛性乳癌骨転移に対して放射線療法は勧められるか?」/CQ7「8 Gy/1回照射は有痛性乳癌骨転移の疼痛緩和を目的とした場合,分割照射と同等の治療として勧められるか?」
  5. 5) 厚生労働科学研究費補助金 がん対策推進総合研究事業. 骨転移放射線治療に関する診療ガイドラインの活用についての提言(令和元年〜3年度). 日本放射線腫瘍学会.
  6. 6) World Health Organization. Cancer pain relief and palliative care/Symptom relief in terminal illness. Geneva: WHO.
  7. 7) 日本放射線腫瘍学会 緩和的放射線治療委員会. 緩和的放射線治療 現状と充実の必要性(厚生労働省 がん対策推進協議会提出資料). 2022.
  8. 8) 日本緩和医療学会 Palliative Care Research. がん性皮膚潰瘍部位の殺菌・臭気の軽減に対するメトロニダゾールゲル(0.75%)の安全性および有効性の検討―使用成績調査―. Palliat Care Res. 2023;18(1). doi:10.2512/jspm.18.22-00042
  9. 9) 介護保険法施行令 第2条(特定疾病)/厚生労働省「特定疾病の選定基準の考え方」
  10. 10) 厚生労働省老健局老人保健課. がん患者に係る要介護認定等の申請に当たっての特定疾病の記載等について. 2019年2月.
  11. 11) 国立がん研究センター. がん患者の療養生活の最終段階における実態把握事業 調査報告書(遺族調査).
  12. 12) 厚生労働省告示「特掲診療料の施設基準等」別表第七(厚生労働大臣が定める疾病等).
  13. 13) 日本緩和医療学会 編. 終末期がん患者の輸液療法に関するガイドライン. 金原出版.
  14. 14) 厚生労働省医政局. 医師法第20条ただし書の適切な運用について(医政医発第0419001号).
本記事は一般的な医学情報の提供を目的としたもので、個別の診断・治療方針を示すものではありません。実際の治療については必ず主治医とご相談ください。掲載している制度の内容は記事作成時点のものであり、制度改正により変更される場合があります。