イチイの木を切り尽くす前に、葉から作れるようになるまで
太平洋イチイの樹皮から見つかった薬は、よく効くと分かった途端に「木が足りない」という壁にぶつかりました。患者を救うために森を切るのか。その議論を終わらせたのは、ヨーロッパイチイの葉から作る化学でした。 卵巣がんで生存を14か月延ばし、乳がん・肺がん・胃がんに広がったパクリタキセル。しびれ、脱毛、点滴中のアレルギー、そして薬に含まれるアルコールの話まで、家で困らないように書きます。
この回の結論
- パクリタキセルは、1962年に米国で集められた太平洋イチイの樹皮から見つかった薬です。木を切り尽くす前に、ヨーロッパイチイの葉から作る方法が開発され、日本では1997年から使われています。
- 卵巣がんで生存期間を24か月から38か月に延ばし、乳がん・肺がん・胃がん・子宮がんの標準治療の一部になりました。カルボプラチンとの「TC療法」の「T」です。
- 副作用の中心は手足のしびれと脱毛、点滴中のアレルギー。しびれは回数とともに積み重なるので、早めに伝えて量を調整します。1回の薬代は1万3千〜1万6千円です。
この薬のプロフィール
| 一般名(商品名) | パクリタキセル(タキソール注射液。後発品あり)。アルブミンに結合させた別製剤にナブパクリタキセル(アブラキサン、第11回) |
|---|---|
| 薬の家族 | 殺細胞薬(微小管阻害薬、タキサン系) |
| 主に使うがん | 卵巣がん(TC療法)、乳がん(術前・術後、再発)、非小細胞肺がん、胃がん、子宮体がん・子宮頸がん、頭頸部がん、食道がん、胚細胞腫瘍、血管肉腫 |
| 使い方 | 点滴。3週間ごとに3時間かけて点滴する方法と、毎週1時間かけて少量ずつ点滴する方法がある。アレルギーを防ぐ薬を前もって使う |
| 日本での承認 | 1997年7月(卵巣がん)。1999年に肺がん・乳がん |
| 薬価の目安 | タキソール注射液100mg 4,491円、30mg 1,413円。後発品も同程度。アブラキサン100mg 30,878円(薬価基準、令和8年8月13日適用) |
SECTION 01 生まれた日:イチイの木を切り尽くす前に
1962年、米国国立がん研究所は「植物の中から抗がん剤を探す」計画を進めていました。集められた植物の一つが、ワシントン州の森で採られた太平洋イチイの樹皮です。 1966年、その抽出物がマウスのがんを抑えることが分かり、1969〜71年、ワニとウォールが有効成分を取り出して「タキソール」と名づけました。
問題は供給でした。樹皮を剥がれた木は枯れ、1人分の薬を作るのに何本もの木が要ります。太平洋イチイは成長の遅い木で、生息する原生林はフクロウの保護をめぐる論争の舞台でもありました。 「患者を救うために森を切るのか」。1990年前後、米国で大きな議論になりました。
- 1962年米国の植物採集計画で、太平洋イチイの樹皮が集められる。
- 1971年ワニ、ウォールらがタキソールの構造を決めて発表。
- 1979年ホーウィッツらが、それまでの薬とは逆に「微小管を固めて」分裂を止める、新しい仕組みを報告。
- 1992年米国で卵巣がんに承認。供給を確保するため、ヨーロッパイチイの葉から半合成する方法が実用化され、木を切らずに作れるようになった。
- 1997年日本で卵巣がんに承認、10月に発売。1999年に肺がんと乳がん、2001年に胃がん、2005年に子宮体がんが加わる。
- 2010年代毎週少量ずつ点滴する方法や、アルブミンに結合させて溶剤を使わない製剤(アブラキサン)が広がる。
SECTION 02 どうやって効くのか:分裂の「綱」を固めてしまう
第5回のビンクリスチンは、分裂のときに染色体を引き分ける「綱」(微小管)を作れなくする薬でした。 パクリタキセルは逆です。綱をがちがちに固めて、ほどけなくします。綱は引いたあとにほどけないと次に進めないので、細胞は分裂の途中で止まります。
作る側を止めても、ほどく側を止めても、分裂は止まる。1979年にホーウィッツがこれを示したとき、「逆向きの薬」として注目されました。 神経の細胞も微小管をレールとして使うので、しびれが出る点は第5回と同じです。
- アレルギーを先回りする水に溶けにくい薬なので、溶かすための添加物(ポリオキシエチレンヒマシ油)が入っています。これがアレルギーを起こすため、点滴の前にステロイドと抗ヒスタミン薬を使います。
- アルコールが入っている溶剤にエタノールが含まれ、点滴のあとにお酒を飲んだような状態になる人がいます。当日の車の運転は避けます。
- 毎週少量にすると副作用が変わる3週間ごとの3時間点滴に対し、毎週1時間の少量点滴は、骨髄への影響が軽く、しびれの出方も違います。乳がんでは毎週法のほうが成績がよいという試験もあります。
SECTION 03 なぜこんなに使われるのか:卵巣がんの14か月
1996年、米国の婦人科がん共同研究グループは、進行した卵巣がんの女性410人を、くじ引きで「シスプラチン+シクロホスファミド」と「シスプラチン+パクリタキセル」に分けました。 進行までの期間の中央値は13か月から18か月に、生存期間の中央値は24か月から38か月に延びました(McGuire ら、NEJM 1996)。
14か月の差は、それまでの卵巣がんの薬では見たことのない大きさでした。その後、相棒が腎臓にやさしいカルボプラチンに替わり(第8回)、TC療法が世界の標準になりました。 乳がんでは、手術のあとにこの薬を足すと再発が17%、死亡が18%減り(Henderson ら、J Clin Oncol 2003、3,121人)、毎週少量ずつ点滴する方法がさらに成績を上げました(Sparano ら、NEJM 2008、4,950人)。
| 使い方 | 主ながん | ねらい |
|---|---|---|
| TC療法(カルボプラチンと) | 卵巣がん、子宮体がん、肺がん | 手術のあとの再発を減らす/進行を抑える |
| 毎週パクリタキセル | 乳がん(術前・術後)、胃がん(2次治療)、卵巣がん | 骨髄への負担を減らしながら効かせる |
| 放射線と一緒に | 食道がん、頭頸部がん、肺がん | 放射線の効きを強める |
| アブラキサン(ナブパクリタキセル) | 膵がん(ゲムシタビンと)、乳がん、胃がん、肺がん | 添加物なしで、前投薬を減らす(第11回) |
表1 パクリタキセルの主な使われ方(添付文書と学会ガイドラインによる)。
添付文書の対象は、卵巣がん、非小細胞肺がん、乳がん、胃がん、子宮体がんに、2012年に血管肉腫・頭頸部がん・食道がん・子宮頸がん、2013年に胚細胞腫瘍が公知申請で加わりました。 米国の当初の承認は24時間点滴でしたが、3時間でも効き目が変わらず通院に向くことが示され(1994年)、日本は最初から3時間点滴で承認されました。
SECTION 04 副作用と、家でできること:しびれ、脱毛、点滴中の反応
添付文書の集計では、白血球減少が61%、脱毛が45%、しびれなどの末梢神経障害が44%、関節痛が32%、筋肉痛が29%に出ました。 骨髄は点滴の11〜13日後に底になり、7日ほどで回復します。
しびれは回数を重ねるほど強くなり、治療をやめてもしばらく残ります。熱い物のやけど、冷たい物での悪化、転倒に注意し、ボタンやペットボトルのふたが開けにくくなったら早めに伝えます(がん情報サービス「しびれ」)。 関節痛・筋肉痛は点滴の2〜3日後に出て数日で引きます。痛み止めを前もって相談しておくと楽です。
脱毛はほぼ全員に、2〜3週間後から出ます。治療が終われば戻ります。アレルギーは点滴の最初の数分〜10分に出やすく、病院では前もって薬を使い、そばで見守ります。 白血球は2週目に底になり、発熱は待たずに連絡します。
-
こんなときは点滴の1〜2週間後に37.5度以上の熱が出たこうする夜間・休日でも、その日のうちに病院へ電話する
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こんなときは指先のしびれで、ボタンがかけにくい、つまずく、熱さを感じにくいこうする次の受診で必ず伝える。量や間隔を調整して、残らないようにする。家では履物と段差を見直す
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こんなときは点滴の帰宅後に、発疹・息苦しさ・胸の圧迫感が出たこうするその場で病院へ連絡する。次回の点滴の前に必ず伝える
薬にアルコールが含まれるため、点滴の当日は車の運転を避けます。アルコールに弱い人、抗酒薬を飲んでいる人は必ず伝えてください。 一部の抗真菌薬や抗HIV薬は、この薬の分解を遅らせて副作用を強めることがあります。妊娠中は使えません。
毎週パクリタキセルを受けている乳がん・胃がんの方は、点滴の翌日から2〜3日、関節と筋肉の痛みで動きが鈍ります。「点滴の翌々日は予定を入れない」と決めている方が上手です。 しびれは本人より家族が先に気づくことが多く、「箸を落とす」「靴下がうまくはけない」を次の受診に持っていきます。
点滴当日に「顔が赤い」「ふらつく」と心配される家族には、薬に含まれるアルコールのことを先に話しておきます。それだけで、その夜の電話が一本減ります。
SECTION 05 薬価と自己負担:1回約1万3千〜1万6千円、アブラキサンは10倍近く
タキソール注射液は100mgが4,491円、30mgが1,413円で、後発品もほぼ同じ値段です(薬価基準、令和8年8月13日適用)。 3週間ごとの量(添付文書では体表面積1平方メートルあたり210mg)なら1回およそ340mgで約1万6千円、実際に多い175〜180mgなら約1万3千円。毎週法(80mg)なら1回およそ130mgで約6,000円です。
アルブミンに結合させたアブラキサンは100mgが30,878円で、乳がんの量(体表面積1平方メートルあたり260mg)なら1回およそ400mgで約12万円。同じ成分でも、作り方で10倍近く違います。 3割負担でもタキソールなら1回約4,000〜5,000円、アブラキサンなら約3万7千円。後者は70歳以上なら、高額療養費の外来の上限(月22,000円、第1回の表1)に届きます。
しびれは、治療が終わってからの暮らしに残る。
この薬を受けた方の家に、治療が終わって何年もたってから伺うことがあります。がんは落ち着いていても、足の裏のしびれで階段が怖い、包丁が握りにくい、という方がいます。 治療中に「これくらい我慢」と伝えなかった分が、残っていることがあります。
パクリタキセルのしびれは、量と回数で調整できる副作用です。「ボタンがかけにくい」と言えた人のほうが、あとに残りにくい。 イチイの木を切り尽くさずに済んだこの薬を、足の感覚を切り尽くさずに使うために、早めの一言を。
「この薬、家ではどう気をつければいいですか」と聞ける主治医を、持ってください。
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Q&A よくある質問
この回のチェックリスト(第9回ぶん)
- 点滴当日は車を運転しない。送迎を決めた。
- 点滴の翌々日ごろの関節痛・筋肉痛に備え、痛み止めの使い方を病院に聞いた。
- 「ボタンがかけにくい」「つまずく」に気づいたら、次の受診で伝えると決めた。
- 熱い物のやけどと転倒に気をつけ、履物と段差を見直した。
- 点滴の1〜2週間後の発熱の連絡先を貼った。
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- 臨床試験で確かめること第1相〜第3相の試験がそれぞれ何を確かめる段階なのかを、人数と期間まで含めて説明しています。
連載「優秀な抗がん剤」全50回
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- がん情報サービス(国立がん研究センター)がんの種類ごとの標準治療と、使われる薬の情報を、公的機関がまとめています/ganjoho.jp
- くすりのしおり(くすりの適正使用協議会)処方された薬の飲み方・注意・副作用を、薬の名前で調べられる患者向けの情報です/rad-ar.or.jp/siori
- 高額療養費制度の窓口(加入している健康保険)1か月の自己負担に上限を設ける制度です。会社の健康保険組合・協会けんぽ・市区町村の国民健康保険・後期高齢者医療広域連合など、保険証(資格確認書)に書かれた保険者に申請します。マイナ保険証を使えば、窓口での支払いが最初から上限額までになります/厚生労働省「高額療養費制度を利用される皆さまへ」
- かかりつけ薬局の薬剤師飲み薬の抗がん剤と、ほかの薬・サプリメント・食べ物との飲み合わせは、薬局で確かめられます。お薬手帳を1冊にまとめておくと早いです。
REFERENCE 参考資料
- チェプラファーム「タキソール注射液30mg・100mg 添付文書」2026年7月改訂(販売開始1997年10月)(https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/450900_4240406A1031_3_05)
- チェプラファーム「タキソール注射液 医薬品インタビューフォーム」(開発の経緯:1966年NCIスクリーニング、1971年構造決定、1979年作用機序、1992年米国承認、1997年7月日本承認)(https://www.info.pmda.go.jp/go/interview/3/450900_4240406A1031_3_1F.pdf)
- 厚生労働省「薬価基準収載品目リスト及び後発医薬品に関する情報について(令和8年8月13日適用)」(https://www.mhlw.go.jp/topics/2026/04/tp20260401-01.html)
- Wani MC, Taylor HL, Wall ME, Coggon P, McPhail AT. Plant antitumor agents. VI. The isolation and structure of taxol, a novel antileukemic and antitumor agent from Taxus brevifolia. J Am Chem Soc. 1971;93(9):2325-2327(https://doi.org/10.1021/ja00738a045)
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- Cragg GM, Schepartz SA, Suffness M, Grever MR. The taxol supply crisis. J Nat Prod. 1993;56(10):1657-1668(https://doi.org/10.1021/np50100a001)
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- Sparano JA, et al. Weekly paclitaxel in the adjuvant treatment of breast cancer. N Engl J Med. 2008;358(16):1663-1671(https://doi.org/10.1056/NEJMoa0707056)
- 国立がん研究センター がん情報サービス「しびれ」2025年9月17日更新(https://ganjoho.jp/public/support/condition/peripheral_neuropathy/index.html)、「脱毛」2025年3月7日更新(https://ganjoho.jp/public/support/condition/alopecia/index.html)

