ビタミンAの仲間と「毒」が、最も治る白血病を作った
「白血病の中で最も悪性」と1957年に書かれた急性前骨髄球性白血病は、出血で亡くなる人が多い病気でした。上海の医師たちが1988年、ビタミンAの仲間で白血病の細胞を「大人にさせる」治療を見つけ、ハルビンの民間薬だったヒ素が同じ病気に効くことも分かります。 日本での承認(1995年、2004年)、殺細胞薬なしの2剤で4年生存99%を示した試験、分化症候群と心電図の見張り、日本の承認範囲が再発・難治性にとどまる事情、そして「治ったあと」に家で見ることまで書きます。
この回の結論
- 急性前骨髄球性白血病は、かつて「最も早く死ぬ白血病」でした。出血が止まらなくなるからです。1980年代、上海の医師たちがビタミンAの仲間(トレチノイン)で白血病の細胞を「大人にさせる」治療を見つけ、日本は1995年に承認。次いで中国の田舎の薬だった「亜ヒ酸」(三酸化二ヒ素)が同じ病気に効くと分かり、2004年に日本で承認されました。
- 2013年、この2つを組めば、殺細胞薬をまったく使わずに9割以上の人が治ることが証明されました。急性前骨髄球性白血病は「最も治る白血病」になりました。ただし、日本での亜ヒ酸の承認範囲は再発・難治性にとどまっています。
- 副作用の中心は分化症候群(細胞が一斉に大人になるときの発熱・息苦しさ・むくみ)と、亜ヒ酸による心電図の異常(QT延長)です。治療は入院で行い、家で見るのは治療後の暮らしです。薬代はトレチノインが月約12万円、亜ヒ酸が1日約2万7千円です。
この薬のプロフィール
| 一般名(商品名) | トレチノイン(ベサノイドカプセル)、三酸化二ヒ素=亜ヒ酸(トリセノックス点滴静注) |
|---|---|
| 薬の家族 | 分化誘導薬(白血病の細胞を成熟させる薬)。トレチノインはビタミンAの活性型、亜ヒ酸はヒ素の化合物 |
| 主に使うがん | 急性前骨髄球性白血病。トレチノインは初発から、亜ヒ酸は日本では再発または難治性の場合 |
| 使い方 | トレチノイン:飲み薬、体表面積1平方メートルあたり45mg(1日60〜80mg)を3回に分けて食後に。亜ヒ酸:点滴、体重1kgあたり0.15mgを1日1回、寛解まで最大60回、寛解後は5週間に25回 |
| 日本での承認 | トレチノイン1995年1月。亜ヒ酸2004年10月(再発・難治性)、2022年にバイアル製剤 |
| 薬価の目安 | ベサノイドカプセル10mg 590.4円。トリセノックス点滴静注12mg 26,932円(薬価基準、令和8年8月13日適用) |
SECTION 01 生まれた日:上海のビタミンAと、ハルビンのヒ素
急性前骨髄球性白血病は、1957年にノルウェーの医師が「白血病の中で最も悪性」と記した病気です(Hillestad、Acta Med Scand 1957)。白血病の細胞が血液を固める仕組みを狂わせ、診断の直後に脳や肺の出血で亡くなる人が多かったからです。 原因は、15番と17番の染色体の入れ替わりで、細胞が「大人になる」合図を受け取れなくなり、未熟なまま増え続けることでした(de Thé ら、Nature 1990)。
1980年代、上海第二医科大学の王振義らは、ビタミンAの活性型トレチノインが、この未熟な細胞を成熟させて役目を終えさせることを見つけ、24人中23人が寛解に入りました(Huang ら、Blood 1988)。殺すのではなく「大人にさせる」、分化誘導療法の始まりです。 日本では1992年に試験が始まり、1995年に承認されました(ベサノイドのインタビューフォーム)。名古屋大学の大野竜三らの全国研究グループが、殺細胞薬と組む治療法を確立しました(Asou ら、J Clin Oncol 1998)。
もう1つの薬は、中国東北部ハルビンで1970年代から民間薬として使われていたヒ素でした。上海のグループが1990年代に、再発した患者の9割で寛解を得たと報告し(Shen ら、Blood 1997)、米国でも追試されます(Soignet ら、NEJM 1998)。 日本では浜松医科大学で米国と同じ方法の試験が行われ、14人中11人が寛解し、2004年に「再発または難治性」の急性前骨髄球性白血病に承認されました(トリセノックスのインタビューフォーム)。
- 1957年「最も悪性の白血病」として記載される。出血で亡くなる人が多かった。
- 1988年上海で、トレチノインが24人中23人を寛解に導いたと報告。
- 1990年原因の遺伝子(15番と17番の染色体の入れ替わり)が突き止められる。
- 1995年1月、日本でトレチノインを承認。殺細胞薬と組む治療で、寛解率9割に。
- 1997〜98年上海と米国で、亜ヒ酸が再発した患者の9割を寛解に導くと報告。2000年、米国で承認。
- 2004年10月、日本で亜ヒ酸を承認(再発・難治性)。
- 2013年トレチノインと亜ヒ酸だけで、殺細胞薬を使う治療より成績がよいと証明(Lo-Coco ら、NEJM 2013)。2017年、4年後の生存率99%と報告。
SECTION 02 どうやって効くのか:合図を通す薬と、壊れた受け皿を捨てる薬
この白血病では、染色体の入れ替わりで「PML-RARα」という異常なたんぱく質ができ、ビタミンAの受け皿をふさいで、細胞を未熟なまま止めています。トレチノインは大量のビタミンAとして受け皿に押し入り、ふさぎを外して、細胞を成熟させます。 亜ヒ酸は、異常なたんぱく質そのものを分解に導き、白血病の親玉の細胞まで減らします。2つは違う場所を攻めるので、組むと殺細胞薬なしで根絶やしにできます。
- 一斉に大人になると、分化症候群白血病の細胞が数日で一斉に成熟すると、大量の白血球が肺や体に広がり、発熱、息苦しさ、体重増加、胸水、血圧低下が起こります。治療開始から数日〜2週間に多く、ステロイドで抑えます。
- ヒ素は心臓の電気に触る亜ヒ酸は心電図のQT間隔を延ばし(添付文書では49.9%)、まれに致命的な不整脈を起こします。週2回の心電図、カリウム・マグネシウムの補正、QTを延ばす薬を避ける、が決まりです。
- ビタミンAは胎児に危険トレチノインには強い催奇形性があり、妊婦には使えません。治療中と治療後しばらくは避妊が必要で、ビタミンAのサプリメントも避けます。
SECTION 03 なぜ「最も治る白血病」になったのか:殺細胞薬なしで9割以上
1997年、米国の試験(346人)で、トレチノインを殺細胞薬に組むと再発が大きく減り、この病気の標準になりました(Tallman ら、NEJM 1997)。日本の全国研究グループも同じ年代に、トレチノインと殺細胞薬を組む治療で寛解率89%を報告しています(Asou ら、J Clin Oncol 1998)。
2013年、イタリアとドイツの研究者は、初発で危険度が低〜中等度の156人を、くじ引きで「トレチノイン+亜ヒ酸」と「トレチノイン+殺細胞薬」に分けました。2年後に再発も死亡もなかった人は、殺細胞薬の組で86%、亜ヒ酸の組で97%。亜ヒ酸の組は、白血球の減少と感染が少なく、脱毛もありませんでした(Lo-Coco ら、NEJM 2013)。 追加の患者を含めた最終報告では、4年後の生存率が99.2%対92.6%でした(Platzbecker ら、J Clin Oncol 2017)。「最も悪性」と書かれた病気が、殺細胞薬なしで、ほぼ全員が生きる病気になりました。
| 場面 | 使い方 | 決め手になった試験 |
|---|---|---|
| 初発(日本の標準) | トレチノイン+殺細胞薬(アントラサイクリン系、第6回)で寛解導入、そのあと地固めと維持療法 | Tallman 1997、Asou 1998(寛解89%) |
| 初発、危険度が低〜中等度(海外の標準) | トレチノイン+亜ヒ酸、殺細胞薬なし | Lo-Coco 2013、Platzbecker 2017(4年生存99%) |
| 再発・難治性 | 亜ヒ酸(日本の承認範囲)。そのあと移植を検討することも | Shen 1997、Soignet 1998(寛解約9割) |
表1 トレチノインと亜ヒ酸の主な使われ方(添付文書と学会ガイドラインによる)。日本での亜ヒ酸の承認は「再発または難治性」で、初発への使用は承認外(2026年9月時点)。
トレチノインの添付文書の対象は急性前骨髄球性白血病、亜ヒ酸は「再発又は難治性の急性前骨髄球性白血病」で、染色体検査または遺伝子検査でこの病気と診断された人に使います。 亜ヒ酸の警告は、原則として投与期間中は入院で医師の管理下に置くこと、治療前と治療中の心電図、電解質の補正を定めています。トレチノインは16週間で寛解に至らなければ中止します。
SECTION 04 副作用と、家でできること:治療は入院で。家で見るのは「そのあと」
トレチノインの添付文書では、中性脂肪の上昇51.2%、口唇の乾燥46.3%、頭痛29.3%、皮膚の乾燥24.4%、肝酵素の上昇24.4%、発熱12.2%、白血球増多9.8%。重大なものはレチノイン酸症候群(分化症候群)、血栓症、頭蓋内圧亢進です。 亜ヒ酸の添付文書では、QT延長49.9%、肝機能異常29.7%、白血球減少21.8%、白血球増加11.6%、分化症候群7.3%、血小板減少7.7%、ウェルニッケ脳症が記されています。
寛解導入の治療は入院で行われます。分化症候群(発熱、息苦しさ、体重増加、むくみ)と出血(診断直後の血液の固まりにくさ)は病院で見張り、亜ヒ酸では心電図を週2回とります。 家で関わるのは、寛解のあとの地固め・維持療法の時期と、治療を終えたあとです。
維持療法のトレチノインは家で飲みます。口唇と皮膚の乾燥にはリップクリームと保湿、頭痛は鎮痛薬で多くは足りますが、吐き気や目のかすみをともなう強い頭痛は頭蓋内圧亢進の合図です。中性脂肪と肝臓は採血で見ます。 ビタミンAのサプリメントとレバーの多食は避け、妊娠を避けます。
-
こんなときは維持療法中に、発熱と息苦しさ、急な体重増加、脚のむくみこうする分化症候群のことがある。その日のうちに病院へ連絡する
-
こんなときは吐き気をともなう強い頭痛、目のかすみ、視野の異常こうする頭蓋内圧亢進の合図。薬を飲まずに、すぐ受診する
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こんなときは亜ヒ酸の治療中に、動悸、失神、ふらつきこうする不整脈の合図。その場で医療者に伝える(入院中)。外来治療中なら救急に電話する
トレチノインは妊婦・妊娠の可能性のある女性には使えず、肝障害・腎障害のある人、ビタミンA製剤を使っている人にも使えません。亜ヒ酸は、QTを延ばす薬(一部の抗不整脈薬、抗菌薬、吐き気止め、抗精神病薬)との併用を避け、カリウム・マグネシウムを保ちます。 亜ヒ酸で意識の変化やふらつきが出たときは、ビタミンB1の欠乏(ウェルニッケ脳症)も疑います。
この病気の治療そのものを在宅で行うことはほとんどありません。私たちが出会うのは、治ったあとの方です。「白血病を治した」と話す患者さんの多くが、この病気です。 維持療法のトレチノインを3か月ごとに2週間飲む時期には、口唇の乾燥と頭痛を聞き、採血の予定を確かめます。
治ったあとに気をつけるのは、心臓(殺細胞薬を使った人はアントラサイクリンの影響、第6回)と、二次がんの検診です。「もう治ったから」と検診から離れないよう、年1回の確認を続けます。
SECTION 05 薬価と自己負担:ビタミンAは月約12万円、ヒ素は1日約2万7千円
ベサノイドカプセル10mgは590.4円。1日70mg(7カプセル)で4,133円、30日で約12万4千円。維持療法(3か月ごとに2週間)なら1回約5万8千円です。 トリセノックス点滴静注12mgは26,932円。体重55kgの量(0.15mg/kg=8.25mg)でも1日1本を使うので1日26,932円、寛解導入が30日なら約81万円、寛解後療法の25回で約67万円です(薬価基準、令和8年8月13日適用)。
入院の治療では、薬代のほかに入院費と輸血・検査がかかり、月の医療費は高額療養費の上限に届きます。70歳未満・年収約370〜770万円なら月85,800円+(医療費−286,000円)×1%、4か月目からは44,400円。70歳以上・一般なら入院は世帯で月61,500円が上限です(第1回の表1)。 この連載で最も薬代の安い部類の薬が、最も治る白血病を作りました。
「抗がん剤らしくない薬」が、最も治る白血病を作った。
ビタミンAとヒ素。どちらも、殺細胞薬の家族(第2〜16回)とは似ても似つかない薬です。細胞を殺すのではなく、大人にさせる。壊れた部品を捨てさせる。がんの薬の考え方が、これほど広いことを、この病気は教えてくれます。 この連載で最も薬代の安い薬のひとつが、最も治る白血病を作ったことも、覚えておきたい事実です。
在宅で「白血病を治した人」に会えるのは、この病気のおかげです。1957年に「最も悪性」と書かれた病気が、いま「最も治る」と書かれる。薬の歴史で、これ以上の逆転を私は知りません。
「この薬、家ではどう気をつければいいですか」と聞ける主治医を、持ってください。
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Q&A よくある質問
この回のチェックリスト(第37回ぶん)
- 維持療法中の発熱・息苦しさ・急な体重増加は、その日のうちに連絡する。
- 吐き気をともなう強い頭痛・目のかすみは、薬を飲まずにすぐ受診する。
- ビタミンAのサプリメントとレバーの多食を避ける。妊娠を避ける。
- 亜ヒ酸の治療中は、他の科でもらう薬(QTを延ばす薬)を飲む前に確かめる。
- 治療の記録(使った薬と総量)をお薬手帳に残し、治療後も年1回の検診を続ける。
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連載の外にある、ふくろう訪問クリニックのコラムです。この回の内容をさらに掘り下げたいときに読んでください。
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- 根拠には強さの順番がある:詐欺医療に騙されないこの回の「決め手になった試験」が、体験談・動物実験・比較試験のどの段にあるかを、一枚の表で確かめられます。
- 臨床試験で確かめること第1相〜第3相の試験がそれぞれ何を確かめる段階なのかを、人数と期間まで含めて説明しています。
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薬のこと・お金のことの相談先
電話番号や制度の内容は変わることがあります。最新の内容は各ページでご確認ください。治療中の方も、治療を終えた方も、ご家族だけでも相談できます。
- 治療を受けている病院の外来・化学療法室副作用が出たとき、まず連絡する先です。夜間や休日の連絡先は、治療の説明書や「治療日誌」に書かれていることが多いので、目につく場所に貼っておいてください。
- がん相談支援センター治療や薬のこと、お金や仕事のことを無料で相談できます。県内すべてのがん拠点病院にあり、その病院にかかっていなくても利用できます/福岡県「福岡県内のがん拠点病院がん相談支援センター」
- がん情報サービス(国立がん研究センター)がんの種類ごとの標準治療と、使われる薬の情報を、公的機関がまとめています/ganjoho.jp
- くすりのしおり(くすりの適正使用協議会)処方された薬の飲み方・注意・副作用を、薬の名前で調べられる患者向けの情報です/rad-ar.or.jp/siori
- 高額療養費制度の窓口(加入している健康保険)1か月の自己負担に上限を設ける制度です。会社の健康保険組合・協会けんぽ・市区町村の国民健康保険・後期高齢者医療広域連合など、保険証(資格確認書)に書かれた保険者に申請します。マイナ保険証を使えば、窓口での支払いが最初から上限額までになります/厚生労働省「高額療養費制度を利用される皆さまへ」
- かかりつけ薬局の薬剤師飲み薬の抗がん剤と、ほかの薬・サプリメント・食べ物との飲み合わせは、薬局で確かめられます。お薬手帳を1冊にまとめておくと早いです。
REFERENCE 参考資料
- チェプラファーム「ベサノイドカプセル10mg 添付文書」(販売開始1995年3月)(https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/450900_4291006M1034_3_01)、同 医薬品インタビューフォーム(開発の経緯:1980年分化誘導の報告、1992年国内試験、1995年1月20日承認、初回投与例の完全寛解率81.5%)
- 日本新薬「トリセノックス点滴静注12mg 添付文書」(販売開始2022年10月)(https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/530263_4291409A2022_1_03)、同 医薬品インタビューフォーム(開発の経緯:1990年代中国での報告、2000年9月米国承認、浜松医科大学の試験で完全寛解率78%、2004年10月22日日本承認、2022年2月バイアル製剤)
- 厚生労働省「薬価基準収載品目リスト及び後発医薬品に関する情報について(令和8年8月13日適用)」(https://www.mhlw.go.jp/topics/2026/04/tp20260401-01.html)
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