イレッサの光と影から、第3世代の肺がんの薬へ
2002年、日本が世界で最初に承認した肺がんの飲み薬イレッサは、間質性肺炎の死亡が相次いで社会問題になりました。同じころ、この薬が劇的に効く人の腫瘍に遺伝子の変異があることが分かります。効く人と効かない人が、遺伝子で分かれた。 その変異と、効かなくなる理由の両方をふさぐ第3世代がオシメルチニブです。進行がんの一次治療から手術後3年の予防、放射線後の維持療法までを支える試験の数字、皮膚と爪と下痢の手当て、肺と心臓の見張り、月56万円の薬代と高額療養費まで書きます。
この回の結論
- 日本人の肺腺がんの約半数は、細胞の「増えろ」の受け皿(EGFR)の遺伝子に変異があります。この受け皿をふさぐ飲み薬の第1世代がイレッサで、2002年に世界に先駆けて日本で承認され、間質性肺炎による死亡が相次いで社会問題になりました。
- 「誰に効くのか」が遺伝子検査で分かり、効かなくなる理由(新しい変異T790M)も分かって、それをふさぐ第3世代がオシメルチニブです。2016年に日本で承認され、いまはEGFR変異のある肺がんの最初の治療、手術後の再発予防、放射線後の維持療法まで使われます。
- 副作用は皮疹、下痢、爪の周りの炎症が中心で、間質性肺炎(3〜6%)と心臓の電気の乱れを見張ります。薬代は1日約1万9千円、月約56万円。3割負担では高額療養費の上限に届きます。
この薬のプロフィール
| 一般名(商品名) | オシメルチニブ(タグリッソ錠)。第1世代はゲフィチニブ(イレッサ錠。後発品あり) |
|---|---|
| 薬の家族 | 分子標的薬(第3世代のEGFRチロシンキナーゼ阻害薬) |
| 主に使うがん | EGFR遺伝子変異陽性の非小細胞肺がん(進行・再発の一次治療、手術後の補助療法、切除できない局所進行がんの化学放射線療法後の維持療法) |
| 使い方 | 飲み薬。1日1回80mg。手術後は3年まで。化学療法と組む使い方もある |
| 日本での承認 | 2016年3月(効かなくなったあとのT790M変異)。2018年一次治療、2022年術後、2025年放射線後の維持療法 |
| 薬価の目安 | タグリッソ錠80mg 18,540.2円、40mg 9,670円。イレッサ錠250 1,716.1円、後発品1,135.1円(薬価基準、令和8年8月13日適用) |
SECTION 01 生まれた日:イレッサの光と影
英国のアストラゼネカ社は、1,500種類の自社化合物の中から、がん細胞の表面にある「増えろ」の受け皿(EGFR)をふさぐ化合物を見つけました(イレッサのインタビューフォーム)。 人での試験で肺がんが縮む例があり、2002年7月、日本は世界で最初にこの薬「イレッサ」を承認します。手術できない肺がんに、副作用の軽い飲み薬。期待は大きく、発売後すぐに多くの患者さんに処方されました。
ところが、発売から3か月で間質性肺炎による死亡が相次ぎ、10月に緊急安全性情報が出ます。厚生労働省に報告された間質性肺炎などは、2012年9月末までに2,328例、うち死亡857例。国と会社の責任を問う裁判は2013年、最高裁で原告の敗訴が確定しました。 一方で、2004年、この薬が劇的に効く人の腫瘍にはEGFR遺伝子の変異があることが分かります(Lynch ら、NEJM 2004)。変異は日本人、女性、たばこを吸わない人、腺がんに多い。「誰に効くか」が、遺伝子で分かる時代が始まりました。
- 2002年7月、イレッサが日本で世界初承認。10月、間質性肺炎の緊急安全性情報。
- 2004年効く人の腫瘍にEGFR遺伝子の変異があると判明。2005年、効かなくなる理由(T790M変異)も見つかる(Kobayashi ら、NEJM 2005)。
- 2009年アジアの試験で、変異のある人にはイレッサが化学療法より効き、ない人には逆だと証明(IPASS試験)。日本の試験でも同じ結果(NEJ002試験)。
- 2011年イレッサの対象が「EGFR遺伝子変異陽性」に絞られる。
- 2015年T790M変異にも効く第3世代オシメルチニブが米国で承認。2016年3月、日本で承認。
- 2018年最初から使うと第1世代より長く効くと証明され(FLAURA試験)、一次治療に。2022年、手術後の補助療法に承認。2025年、放射線後の維持療法に。
SECTION 02 どうやって効くのか:変異した受け皿だけをふさぎ、逃げ道もふさぐ
EGFRの受け皿は、正常な皮膚や腸の細胞にもあります。第1世代の薬は正常な受け皿もふさぐため、皮疹や下痢が強く出ました。オシメルチニブは、変異した受け皿に強く結びつき、正常な受け皿にはあまり結びつかないように設計されています。 さらに、第1世代が効かなくなる主な理由だったT790M変異の受け皿にも結びつきます。逃げ道を先にふさいでいるので、最初から使うと長く効きます。
- 脳にも届く肺がんは脳に転移しやすいのですが、この薬は脳の中に入りやすく、脳転移にも効きます。一次治療の試験で、脳への進行が第1世代より少なくなりました。
- それでもいつか効かなくなる別の逃げ道(C797S変異、MET遺伝子の増幅など)が出てきます。そのときは化学療法(第8・9・12回)や新しい薬に切り替えます。
- 手術後に使う意味手術で取り切ったあとも、目に見えない細胞が残っています。それをこの薬で3年抑えると、再発が大きく減り、生存も延びることが分かりました。
SECTION 03 なぜこんなに使われるのか:進行がんの一次治療から、手術後・放射線後まで
2018年、EGFR変異のある進行肺がん556人を、くじ引きで「オシメルチニブ」と「第1世代の薬」に分けました。進行までの期間は10.2か月から18.9か月に延び(Soria ら、NEJM 2018、FLAURA試験)、 生存期間も31.8か月から38.6か月に延びました(Ramalingam ら、NEJM 2020)。
2020年、手術で取り切った1B〜3A期の682人で、3年間この薬を飲むと、再発か死亡のリスクが80%減り(Wu ら、NEJM 2020、ADAURA試験)、5年生存率は78%から88%に上がりました(Tsuboi ら、NEJM 2023)。 2024年には、切除できない3期のがんで、化学放射線療法のあとに飲み続けると、進行までの期間が5.6か月から39.1か月に延びました(Lu ら、NEJM 2024、LAURA試験)。
| 場面 | 使い方 | 決め手になった試験 |
|---|---|---|
| 進行・再発、最初の治療 | 単独で。化学療法(第8・12回)を足す選択肢も | FLAURA(進行まで10.2→18.9か月)、FLAURA2(化学療法併用でさらに延長) |
| 手術のあと(1B〜3A期) | 3年間飲む | ADAURA(5年生存78→88%) |
| 切除できない3期、化学放射線療法のあと | 進行するまで飲む | LAURA(進行まで5.6→39.1か月) |
| 第1・2世代が効かなくなったあと(T790M変異) | 単独で | AURA3(進行まで4.4→10.1か月) |
表1 オシメルチニブの主な使われ方(添付文書と学会ガイドラインによる)。EGFR変異は日本人の肺腺がんの約半数にあり、欧米の3〜4倍。
添付文書の対象は、EGFR遺伝子変異陽性の手術不能・再発の非小細胞肺がん、同じく術後補助療法、切除不能な局所進行がんの化学放射線療法後の維持療法です。 使う前に承認された検査でEGFR変異を確かめます。警告として、治療開始前に胸のCTで間質性肺炎の合併がないことを確かめ、治療初期は入院かそれに準じた管理で見張るよう定めています。
SECTION 04 副作用と、家でできること:皮膚、爪、下痢、そして肺と心臓
添付文書の集計では、発疹・ざ瘡40.8%、下痢38.7%、爪の障害(爪囲炎)30.6%、皮膚の乾燥・湿疹26.2%、口内炎23.6%。重大なものは、間質性肺疾患3.3%(放射線後の維持療法では6.3%)、QT間隔延長7.4%、血小板減少9.2%、好中球減少8.1%、肝機能障害8.5%、心不全・心臓のポンプの力の低下です。
皮疹は第1世代より軽いものの、保湿と日焼け止めは初日から(第24回と同じ手当て)。爪の周りは深爪をせず、締めつけない靴。 下痢は止痢薬を手元に置き、水分をとります。口内炎はやわらかい歯ブラシと、しみない食事。
肺は、空咳・息切れ・発熱が出たら日数に関係なく連絡します。第11〜13回で書いた「間質性肺炎の合図」と同じです。 心臓は病院で心電図と心エコーを定期的に調べます。動悸や失神は連絡します。
-
こんなときは空咳が増えた、階段で息が切れる、微熱が続くこうする間質性肺炎の合図。日数に関係なく、その日のうちに病院へ連絡する
-
こんなときは動悸、めまい、気を失ったこうする心臓の電気の乱れ(QT延長)のことがある。すぐ受診して心電図を取る
-
こんなときは1日6回以上の下痢、水分がとれないこうする脱水の合図。止痢薬を飲み、その日のうちに連絡する
間質性肺炎の既往がある人には慎重に使い、治療前に胸のCTで確かめます。QT延長を起こしやすい薬(一部の抗不整脈薬、抗菌薬、吐き気止めなど)との飲み合わせに注意。 妊娠中は使えず、女性は最終投与から6週間、男性は4か月の避妊が必要です。
進行肺がんでこの薬を飲みながら家で過ごす方は、当院で最も多い在宅の患者さんの一群です。脳転移があっても効くので、症状が落ち着いて家に戻れる方が増えました。 訪問のたびに確かめるのは、咳と息切れ。「風邪かな」で1週間待つと重くなることがあるので、「咳が増えたら電話」を家族と決めています。
手術後3年間飲む方には、「症状がないのに毎日飲む」意味を、5年生存率の10ポイントの差で説明しています。
SECTION 05 薬価と自己負担:1日約1万9千円、月約56万円
タグリッソ錠80mgは18,540.2円で、1日1錠、30日で約55万6千円です。手術後の3年間では約2,000万円になります(薬価基準、令和8年8月13日適用)。 3割負担なら月約16万7千円ですが、高額療養費で、70歳未満・年収約370〜770万円なら月85,800円+(医療費−286,000円)×1%=約8万9千円、4か月目からは44,400円。70歳以上・一般なら外来22,000円が上限です(第1回の表1)。
第1世代のイレッサは1錠1,716.1円(後発品1,135.1円)で、月約5万1千円(後発品3万4千円)。値段は10倍以上違いますが、効く期間と脳転移への効き目の差から、いまは最初からオシメルチニブを使うのが標準です。
イレッサの教訓は「誰に効くか」を先に調べること。
イレッサは、効く人には劇的に効き、効かない人には副作用だけを残しました。2002年当時、その違いを見分ける手段がなかったことが、悲劇の一因です。 いま、肺がんの治療は遺伝子検査から始まります。その常識は、イレッサで亡くなった方々と、効いた方々の両方から学んだものです。
在宅で肺がんの方を診ていると、第3世代の薬が来て、家で過ごせる時間が長くなったと実感します。ただ、間質性肺炎の見張りだけは、20年たっても変わらない仕事です。
「この薬、家ではどう気をつければいいですか」と聞ける主治医を、持ってください。
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Q&A よくある質問
この回のチェックリスト(第27回ぶん)
- EGFR変異の検査結果(変異の種類)をお薬手帳に書いた。
- 「咳が増えたら、日数に関係なく電話」を家族と決めた。
- 保湿と日焼け止めを初日から。爪は深爪しない。止痢薬を手元に置いた。
- 心電図・心エコーの日を手帳に書いた。動悸・失神は受診する。
- 高額療養費の限度額(マイナ保険証か認定証)を最初の月に確かめた。
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薬のこと・お金のことの相談先
電話番号や制度の内容は変わることがあります。最新の内容は各ページでご確認ください。治療中の方も、治療を終えた方も、ご家族だけでも相談できます。
- 治療を受けている病院の外来・化学療法室副作用が出たとき、まず連絡する先です。夜間や休日の連絡先は、治療の説明書や「治療日誌」に書かれていることが多いので、目につく場所に貼っておいてください。
- がん相談支援センター治療や薬のこと、お金や仕事のことを無料で相談できます。県内すべてのがん拠点病院にあり、その病院にかかっていなくても利用できます/福岡県「福岡県内のがん拠点病院がん相談支援センター」
- がん情報サービス(国立がん研究センター)がんの種類ごとの標準治療と、使われる薬の情報を、公的機関がまとめています/ganjoho.jp
- くすりのしおり(くすりの適正使用協議会)処方された薬の飲み方・注意・副作用を、薬の名前で調べられる患者向けの情報です/rad-ar.or.jp/siori
- 高額療養費制度の窓口(加入している健康保険)1か月の自己負担に上限を設ける制度です。会社の健康保険組合・協会けんぽ・市区町村の国民健康保険・後期高齢者医療広域連合など、保険証(資格確認書)に書かれた保険者に申請します。マイナ保険証を使えば、窓口での支払いが最初から上限額までになります/厚生労働省「高額療養費制度を利用される皆さまへ」
- かかりつけ薬局の薬剤師飲み薬の抗がん剤と、ほかの薬・サプリメント・食べ物との飲み合わせは、薬局で確かめられます。お薬手帳を1冊にまとめておくと早いです。
REFERENCE 参考資料
- アストラゼネカ「タグリッソ錠40mg・80mg 添付文書」2026年1月改訂(https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/670227_4291045F1027_1_15)、同 医薬品インタビューフォーム(開発の経緯:2015年11月米国承認、2016年3月日本承認、2018年8月一次治療、2022年8月術後補助療法、2025年5月化学放射線療法後の維持療法)
- アストラゼネカ「イレッサ錠250 添付文書」2025年10月改訂(https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/670227_4291013F1027_1_34)、同 医薬品インタビューフォーム(2002年7月世界初承認、2011年11月効能変更);医薬品医療機器総合機構「ゲフィチニブによる急性肺障害、間質性肺炎についての緊急安全性情報の発出について」2002年10月(https://www.pmda.go.jp/safety/info-services/drugs/calling-attention/esc-rsc/0007.html);アストラゼネカ「イレッサ訴訟:本日の最高裁判所の判断について」2013年4月12日(https://www.astrazeneca.com/content/az-jp/news/press-releases1/2013/20130412.html);薬害イレッサ弁護団「イレッサの副作用被害者数」(厚生労働省への報告の集計)(https://www.gaiki.net/yakugai/gef/lib/victims_log.html)
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- 国立がん研究センター がん情報サービス「肺がん 治療」2026年8月26日更新(https://ganjoho.jp/public/cancer/lung/treatment.html)、「皮膚のトラブル」2025年7月4日更新(https://ganjoho.jp/public/support/condition/skin/index.html)

