避妊薬の失敗作が、世界で最も使われた乳がんの薬になった
1962年、英国の化学会社で「飲む避妊薬」として作られた化合物は、人では避妊に失敗しました。あきらめなかった研究者が乳がんに向け直し、世界で最も多くの女性が使った乳がんの薬になりました。 5年飲めば再発は半分近く減り、10年飲めばさらに減る。1日40円のこの薬の、ほてり、血栓、子宮内膜の変化との付き合い方と、やめる前に相談してほしい理由を書きます。
この回の結論
- タモキシフェンは、1962年に英国のICI社で「避妊薬」として作られ、その役目には失敗した化合物です。乳がんに向け直され、1973年に英国、1981年に日本で承認。世界で最も多くの女性が使った乳がんの薬になりました。
- ホルモン受容体陽性の乳がんで、手術のあと5年飲むと再発が半分近く減り、死亡のリスクが3割減ります。閉経前でも閉経後でも使え、10年飲むとさらに再発が減ることも分かりました。
- 殺細胞薬のような吐き気や脱毛はなく、ほてり、血栓、子宮内膜の変化が主な副作用です。不正出血と、片足の腫れ・急な息切れは、待たずに連絡します。1日の薬代は約40円です。
この薬のプロフィール
| 一般名(商品名) | タモキシフェンクエン酸塩(ノルバデックス錠。後発品あり) |
|---|---|
| 薬の家族 | ホルモン薬(内分泌療法薬。抗エストロゲン薬) |
| 主に使うがん | ホルモン受容体陽性の乳がん(手術のあとの再発予防、進行・再発)。閉経前の標準薬で、閉経後にも使う |
| 使い方 | 飲み薬。1日1回20mgを、5年から10年続ける |
| 日本での承認 | 1981年5月(10mg錠)。1989年に1日1回でよい20mg錠 |
| 薬価の目安 | ノルバデックス錠20mg 40.5円、10mg 27.9円。後発品は20mgで27円(薬価基準、令和8年8月13日適用) |
SECTION 01 生まれた日:避妊薬になれなかった化合物
1962年、英国の化学会社ICI(現アストラゼネカ)の研究所で、化学者ドラ・リチャードソンがひとつの化合物を合成しました。番号はICI 46,474。 チームの目標は「飲む避妊薬」で、この化合物はラットで受精卵の着床を止めました(Harper と Walpole、J Reprod Fertil 1967)。
ところが人に使うと、避妊どころか排卵を促してしまいます。避妊薬としては失敗でした。会社は開発をやめかけましたが、チームを率いたアーサー・ウォルポールは、 女性ホルモン(エストロゲン)の働きを乳がんの細胞で止める薬になると考え、粘りました。1971年、英国マンチェスターの病院で進行乳がんの試験が始まり、1973年に英国で承認されます。
- 1962年ICI社でリチャードソンがICI 46,474を合成。避妊薬の候補だった。
- 1967年ラットでは着床を止めるが、人では排卵を促すことが分かる。避妊薬としては失敗。
- 1971年英国で進行乳がんの最初の試験。1973年に英国で承認(商品名ノルバデックス)。米国は1977年。
- 1970年代米国の薬理学者クレイグ・ジョーダンが、動物実験で「手術のあとに長く飲むと再発を防ぐ」考え方を示す。
- 1981年日本で承認。1989年、1日1回でよい20mg錠。
- 1998年世界の55試験・3万7千人の集計で、5年飲むと再発が47%、死亡が26%減ると確定(EBCTCG)。
- 2013年10年飲むと、5年より再発と死亡がさらに減ることが1万2,894人の試験で示される(ATLAS)。
SECTION 02 どうやって効くのか:受け皿に座って、鍵を入れさせない
女性ホルモンは、乳がん細胞の受け皿(エストロゲン受容体)にはまって「増えろ」の合図を出します。 タモキシフェンは、この受け皿に先に座り込んで、本物のホルモンを入れさせません。ホルモンを減らすのではなく、受け取らせない薬です。だから、卵巣が動いている閉経前でも使えます。
面白いのは、この薬が体の場所によって顔を変えることです。乳房ではブレーキ、骨では女性ホルモンに似た働きで骨を守り、子宮では内膜を厚くします。 「場所で顔が変わる」性質が、副作用の顔ぶれをそのまま決めています。
- 乳房では止める受容体陽性の乳がんの再発を減らし、反対側の乳房に新しくできるがんも減らします。
- 子宮では増やす子宮内膜が厚くなり、ポリープや、まれに子宮体がんが増えます。添付文書は定期的な婦人科の検査を勧めています。
- 血液は固まりやすくなる肺塞栓、脚の静脈血栓が出ることがあります。長く座る、脱水、手術前後は注意です。
SECTION 03 なぜこんなに使われるのか:3万7千人の集計と、10年の試験
1998年、世界の55の比較試験・3万7千人の結果をひとつに集めた解析が発表されました。受容体陽性の乳がんで手術のあと約5年飲むと、10年間で再発が47%、死亡が26%減り、 年齢や閉経の前後に関係なく効いていました(EBCTCG、Lancet 1998)。2011年の更新では、5年の内服で乳がんによる死亡が15年間にわたって約3分の1減ることが確かめられました(EBCTCG、Lancet 2011、2万1,457人)。
2013年、5年飲み終えた1万2,894人を「やめる」と「10年まで続ける」に分けた試験では、10年まで続けると、受容体陽性の人で5〜14年目の再発が25.1%から21.4%に、乳がんによる死亡が15.0%から12.2%に減りました(Davies ら、Lancet 2013、ATLAS)。 効果は10年目以降に大きく、「飲み終えたあとも守りが続く」薬です。
| 場面 | 使い方 | 根拠 |
|---|---|---|
| 閉経前、手術のあと | 5〜10年。再発リスクが高ければ卵巣を止める注射(第19回)を足す | EBCTCG 1998・2011、ATLAS 2013、SOFT 2018 |
| 閉経後、手術のあと | アロマターゼ阻害薬(第18回)が第一。使えないときや、切り替えて使う | ATAC、BIG 1-98、EBCTCG 2015 |
| 進行・再発 | ホルモン療法の一つとして。CDK4/6阻害薬(第31回)と組むことも | 各比較試験 |
| 予防(海外) | 再発リスクの高い人の発症予防。日本では未承認 | NSABP P-1 1998 |
表1 タモキシフェンの主な使われ方(がん情報サービス「乳がん 治療」と学会ガイドラインによる)。
添付文書の対象は「乳癌」で、閉経の前後を問いません。用量は1日20mg、症状により40mgまで。 世界保健機関(WHO)の必須医薬品リストに載る薬で、2003年の総説は「この薬で40万人以上の女性が生きている」と見積もっています(Jordan、Nat Rev Drug Discov 2003)。
SECTION 04 副作用と、家でできること:ほてり、血栓、不正出血
添付文書では、ほてり・潮紅、無月経・性器出血、吐き気が5%以上に出ます。重大な副作用として、血栓塞栓症(肺塞栓、脚の静脈血栓、脳血栓)、子宮体がん・子宮内膜ポリープ・子宮内膜増殖症、 視力異常(0.4%。白内障や網膜症)、劇症肝炎、骨転移のある人の高カルシウム血症、間質性肺炎、脂肪肝が挙げられています。
ほてり・のぼせ・汗は多くの人に出ます。薄着の重ね着、扇子、カフェインとアルコールを控える、で楽になることがあります(がん情報サービス「ほてり・のぼせ・発汗」)。 つらいときは、更年期の症状に使う薬を相談できます。関節のこわばりや気分の落ち込みも出ることがあり、我慢せず伝えます。
不正出血は子宮内膜の変化の合図です。閉経後の出血は必ず婦人科へ。年1回の婦人科検診を続けます。 片脚の腫れ・痛み、急な息切れ・胸の痛みは血栓の合図で、その日のうちに受診です。長時間の移動では足首を動かし、水分をとります。 目のかすみは眼科で診てもらいます。
-
こんなときは片方の脚が急に腫れて痛い、急な息切れ、胸の痛みこうする血栓の合図。その日のうちに病院へ。夜なら救急に電話する
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こんなときは閉経後なのに出血があった。生理でない出血が続くこうする子宮内膜の変化のことがある。早めに婦人科を受診する
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こんなときはほてりや汗で眠れない日が続く。気分が落ち込むこうする次の受診で伝える。薬の調整や、症状を和らげる薬がある。自己判断でやめない
妊娠中は使えず、女性は最終投与後9か月、男性は6か月の避妊が必要です(ホルモン剤以外の方法で)。 一部の抗うつ薬など、この薬の活性化を妨げる薬があり、飲み合わせは薬局で確かめます。手術や長期の安静の前には血栓の対策を相談します。
在宅で出会うのは、乳がんの治療が落ち着いてから何年もたち、別の病気で訪問診療を受けている方が、いまも「あの小さな錠剤」を飲んでいる場面です。 お薬手帳の隅にノルバデックスが残っていて、ご家族も「何の薬か知らない」ことがあります。何年目か、いつまでか、を主治医に確かめてもらいます。
寝たきりに近い方では血栓のリスクが上がるので、脚の太さを左右で見比べる、水分をとる、を訪問のたびに確かめます。
SECTION 05 薬価と自己負担:1日約40円、10年で約15万円
ノルバデックス錠は20mgが40.5円、10mgが27.9円。後発品は20mgで27円、10mgで14.4〜36.1円です(薬価基準、令和8年8月13日適用)。 1日1錠(20mg)なら、先発品で年約1万5千円、後発品で約1万円。3割負担なら年約3,000〜4,400円です。
10年飲んでも薬代は先発品で約15万円。この連載で扱う薬の中で、最も安い部類です。 薬代より、年1回の婦人科検診と、骨・血栓の検査にかかる費用のほうが大きいことがあります。
「効いているかどうか、分からない薬」を10年飲むということ。
殺細胞薬は、効けば腫瘍が縮み、副作用で効いていることが分かります。タモキシフェンは違います。再発を「起こさない」ための薬なので、効いている実感がありません。 それでも5年、10年と飲み続けた人の集計が、再発半減という数字を作りました。飲み続けた一人ひとりが、この数字の中にいます。
在宅で見ていて心配なのは、ほてりや気分の落ち込みで、誰にも言わずにやめてしまうことです。1日40円の薬をやめる理由が「つらいと言えなかった」では、あまりに惜しい。 つらさは薬で和らげられます。やめる前に、一言ください。
「この薬、家ではどう気をつければいいですか」と聞ける主治医を、持ってください。
ふくろう訪問クリニックは、福岡市早良区の在宅医療のクリニックです。 ご自宅はもちろん、有料老人ホーム・サービス付き高齢者向け住宅・グループホームへも医師が伺います。 病院で抗がん剤の治療を受けながら、家での体調管理や副作用の相談をしたい。飲み薬の治療を家で続けている。 病院の治療を終えて、これからの暮らしを考えたい。どの段階のご相談でもかまいません。ご家族だけでのお問い合わせも歓迎します。
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Q&A よくある質問
この回のチェックリスト(第17回ぶん)
- 何年目で、いつまで飲む予定かを、お薬手帳に書いた。
- 年1回の婦人科検診を予定に入れた。
- 片脚の腫れ・急な息切れ・不正出血は、待たずに受診すると決めた。
- ほてりや気分の落ち込みは、やめる前に相談する。
- 新しい薬やサプリメントは、薬局で飲み合わせを確かめる。
この回に関連する記事
連載の外にある、ふくろう訪問クリニックのコラムです。この回の内容をさらに掘り下げたいときに読んでください。
- 根拠には強さの順番がある:詐欺医療に騙されないこの回の「決め手になった試験」が、体験談・動物実験・比較試験のどの段にあるかを、一枚の表で確かめられます。
- 臨床試験で確かめること第1相〜第3相の試験がそれぞれ何を確かめる段階なのかを、人数と期間まで含めて説明しています。
連載「優秀な抗がん剤」全50回
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- シクロホスファミド——毒ガスの研究から生まれた、最初の抗がん剤
- メトトレキサート——白血病の子どもに、初めて「寛解」をもたらした薬
- フルオロウラシル(5-FU)——60年以上、消化器がんの土台であり続ける理由
- ビンクリスチン——糖尿病の薬を探していたら、白血病の薬が見つかった
- ドキソルビシン——アドリア海の土から生まれた「赤い薬」と、心臓の話
- シスプラチン——電極の実験の偶然が、精巣がんを「治る病気」に変えた
- カルボプラチン——腎臓と吐き気にやさしく設計された、シスプラチンの「弟」
- パクリタキセル——イチイの木を切り尽くす前に、葉から作れるようになるまで
- ドセタキセル——前立腺がんで初めて「延命」を証明した化学療法
- ゲムシタビン——抗ウイルス薬の候補が、膵がんの標準治療になるまで
- ペメトレキセド——蝶の羽の色素の研究から生まれた、肺がんと中皮腫の薬
- テモゾロミド——脳腫瘍の治療を変えた、家で飲める抗がん剤
- オキサリプラチン——名古屋で生まれ、フランスで育ち、日本に帰ってきた薬
- イリノテカン——中国の木の成分を、日本の乳酸菌の会社が薬にした
- S-1(ティーエスワン)——日本生まれの「飲む5-FU」が、世界の標準を変えた
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電話番号や制度の内容は変わることがあります。最新の内容は各ページでご確認ください。治療中の方も、治療を終えた方も、ご家族だけでも相談できます。
- 治療を受けている病院の外来・化学療法室副作用が出たとき、まず連絡する先です。夜間や休日の連絡先は、治療の説明書や「治療日誌」に書かれていることが多いので、目につく場所に貼っておいてください。
- がん相談支援センター治療や薬のこと、お金や仕事のことを無料で相談できます。県内すべてのがん拠点病院にあり、その病院にかかっていなくても利用できます/福岡県「福岡県内のがん拠点病院がん相談支援センター」
- がん情報サービス(国立がん研究センター)がんの種類ごとの標準治療と、使われる薬の情報を、公的機関がまとめています/ganjoho.jp
- くすりのしおり(くすりの適正使用協議会)処方された薬の飲み方・注意・副作用を、薬の名前で調べられる患者向けの情報です/rad-ar.or.jp/siori
- 高額療養費制度の窓口(加入している健康保険)1か月の自己負担に上限を設ける制度です。会社の健康保険組合・協会けんぽ・市区町村の国民健康保険・後期高齢者医療広域連合など、保険証(資格確認書)に書かれた保険者に申請します。マイナ保険証を使えば、窓口での支払いが最初から上限額までになります/厚生労働省「高額療養費制度を利用される皆さまへ」
- かかりつけ薬局の薬剤師飲み薬の抗がん剤と、ほかの薬・サプリメント・食べ物との飲み合わせは、薬局で確かめられます。お薬手帳を1冊にまとめておくと早いです。
REFERENCE 参考資料
- アストラゼネカ「ノルバデックス錠10mg・20mg 添付文書」2026年3月改訂(https://www.pmda.go.jp/PmdaSearch/iyakuDetail/ResultDataSetPDF/670227_4291003F1163_1_20)
- アストラゼネカ「ノルバデックス錠 医薬品インタビューフォーム」(開発の経緯:1963年ICI社、1973年英国発売、1981年5月日本承認、1989年12月20mg錠承認)(https://www.info.pmda.go.jp/go/interview/1/670227_4291003F1163_1_231_1F.pdf)
- 厚生労働省「薬価基準収載品目リスト及び後発医薬品に関する情報について(令和8年8月13日適用)」(https://www.mhlw.go.jp/topics/2026/04/tp20260401-01.html)
- Harper MJ, Walpole AL. A new derivative of triphenylethylene: effect on implantation and mode of action in rats. J Reprod Fertil. 1967;13(1):101-119(https://doi.org/10.1530/jrf.0.0130101)
- Jordan VC. Tamoxifen: a most unlikely pioneering medicine. Nat Rev Drug Discov. 2003;2(3):205-213(https://doi.org/10.1038/nrd1031)
- Early Breast Cancer Trialists’ Collaborative Group. Tamoxifen for early breast cancer: an overview of the randomised trials. Lancet. 1998;351(9114):1451-1467(https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/9605801/)
- Early Breast Cancer Trialists’ Collaborative Group. Relevance of breast cancer hormone receptors and other factors to the efficacy of adjuvant tamoxifen: patient-level meta-analysis of randomised trials. Lancet. 2011;378(9793):771-784(https://doi.org/10.1016/S0140-6736(11)60993-8)
- Davies C, et al. Long-term effects of continuing adjuvant tamoxifen to 10 years versus stopping at 5 years after diagnosis of oestrogen receptor-positive breast cancer: ATLAS, a randomised trial. Lancet. 2013;381(9869):805-816(https://doi.org/10.1016/S0140-6736(12)61963-1)
- 国立がん研究センター がん情報サービス「乳がん 治療」2025年6月19日更新(https://ganjoho.jp/public/cancer/breast/treatment.html)、「ほてり・のぼせ・発汗(ホルモン低下による症状)」2026年1月23日更新(https://ganjoho.jp/public/support/condition/hot_flash/index.html)

